私達の時、都立高校に入るアチーブメントテストに英語はありませんでした。それで松濤でも英語の先生は教えにくかったと思います。私は松濤の3年 間を通じて滝沢先生に教わりました。教科書は「ジャック アンド べティ」でした。そして、各学年の終わりには、各巻の終わりのレッスンをやり残 して、次の年には新しい本に進んだと思います。滝沢先生は「高校に入ったら英語が一番大事になるから、しっかり勉強しなさい」とおっしゃいまし た。
高校に入って面食らったのは、一年生のとき、戦前文理大で指導したハロルドパーマー先生の弟子が、パーマー流のオーラルメソッドで教えたことで す。これは私には効果がなく、恐怖以外の何者でもありませんでした。しかし2年になると文法訳読式になり、私はホッとしました。当時は理工ブーム で、何が何でもどこかの工学部に入ろうと必死で、英語は一年の最初の教材から勉強し直しました。
次にオーラルメソッドに出くわしたのは、慶応英文科の大学院の時、選択で国際センターの「日本語教授法」を履修した時です。そこでは戦時中、日本 占領下の日本語教育の、パーマー、長沼直兄の伝統が固守されていて、オーラルメソッド一辺倒でした。豪州でこれで日本語をならったシーク族のイン ド人などに会いました。しかし十年後、国際センターを訪れると、この方針は放棄されていました。
英語教授法にも幾多の変遷がありました。私が教えた中学、高校では大金をかけてランゲージラボをつくりましたが、10年後には殆ど廃止され、普通 の教室になっていました。
日本では今でも、「小学生英語」など、英語教育問題が未解決のまま論議されているようです。
伊東(望月)宏
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