2009年6月27日土曜日

卓袱台返し

日本を離れて40年近くたちますが、ますます日本人になっています。私の感覚は小学校、中学校のときに培われたものを今でも一歩もでていません。その証拠として、インターネットで一寸した流行語などを見ても、その意味が即座に推察できます。一例は「卓袱台返し」のコンテストがあったという記事を見たとき、すぐに一昔前もらった週刊誌に出ていた漫画の主人公を思い出しました。やくざな男で、気が短く、「デェェーイ!」と食卓をひっくり返す。
 
また、ここのニュースなどで西欧諸国などの話も理解できるのは、小学校や、松涛中学の授業で日本語で習ったことに殆ど依存しています。
 
以上のことは、私が日本にいたときとは比べ物にならない、今の日本人の英語にたいするこだわりの是非を論じるとき、考慮すべき点ではないかと思います。
 
最近では、多くの若者が多額の費用を厭わず語学留学やワーホリで豪州に来たり、子供をここの小学校や中学に通わせるため、母親が夫を日本に残し保護者として来ている例が沢山あります。
 
松涛中学の時、英語は都立高校の入試科目でさえありませんでした。
 
しかし、人口一億を超える日本にとって、英語とはこのような犠牲を払うに値するものなのでしょうか。
 
私は人生の半分を日本、半分を豪州ですごしました。そして、日本で英語を勉強していたときに信じていたことが、ここに来て全く間違っていたと感じたことや、小学校英語論議を始め今の日本の英語教育論争について、思うことが多々あります。こんなことに興味があるかたが卒業生のなかにおられるかどうか、わかりませんが。
 
伊東宏

ある日の渋谷

津田國克です。汗かいてます。

或る日の渋谷

こんにちわ。津田國克です。

2009年6月25日木曜日

松涛で見に行った映画

近藤さんの挙げられた映画の中に、「砂漠の鼠」と言うのがありますが、私もそれを見に行った記憶があります。しかし、そのときはそれがオーストラリア人の兵隊さん達のものだという意識は全くありませんでした。勿論英語は全くわかりませんでしたし。しかし、オーストラリアに来て、ここで初めて「砂漠の鼠」の意味を知りました。また、英語を母国語としない私達にはあまり覚えても意味のない、ここ独特の表現(例えば、私の両親の東京弁の、「エレエ目にあった」のような)が、あの映画の中で使われているのをしりました。その一つに、ドイツの基地を爆破したコマンド隊が帰ってくるのを見た味方の兵士が「ストーン ザ クロウズ!(おったまげた)」と叫ぶところがあります。
 
これは日本では英語教師、豪州では日本語教師をしていた経験ですが、日本に留学した高校生が「ちかれたびー」「おばんです」「もうかりまっか?」などを面白半分教えられて帰って来たり、こちらに英語を勉強に来る日本人の女の子に「ズボンの(中の)ヘビ」とか「真鍮の猿(の金玉がちぎれる)ほど寒い」など、ドーデモいい事をおしえたがる人が沢山います。どっちもどっちです。
 
伊東宏

喉自慢「鐘一つ!」

松涛のころ、ラジオで喉自慢の番組をよく聞きました。その参加者の中にオペラのアリアを歌う人がよくいました。一番よく聞いたのは「ラ ボエーム」のなかのアリアです。「私の名はミミ!」「カーン!」といった具合です。
 
また、漫才などの中にも、昔の浅草オペラの出し物がよく使われました。例えば「フラ ディアボロ」というオペラの「岩にもたれた、ものすごい人は、鉄砲片手に、、、」というのや、ズッペの「恋はやさし、野辺の花よ、、、」などがよく聞かれました。その後、こうした音楽は日本では殆どきかれなくなりました。でもズッペの軽騎兵の序曲などは運動会などで使われていました。
 
オーストラリアに来て数年したとき、ラジオをつけたら、「フラ ディアボロ」を全曲やっていました。懐かしい旋律が聞こえてきました。
 
時々、ホームサイトで色々なオペラの筋書きを読んでみています。大抵つまらない!
 
伊東宏

木下さんに煽られて

近藤義輔です。

木下さんにああも煽られては、何か書かずばなるまいと思い

立った次第。映画館街を通り抜けると僕らの中学校があった。そこで

映画の話になる。課外授業でよく映画に連れて行ってもらいました。

砂漠の鼠、地上最大のショー、印度の放浪児(エロール・フリン!)、

山椒大夫、原爆の子、心臓破りの丘、山びこ学校、等々名作愚作とり

まぜて数えきれない。なにせそれで正規の授業がキャンセルされるのだから、

愉快なことこの上も無かった。自分ひとりで見に行くのはままならなかった私に

とって、中学時代に見た映画の多くが課外授業でのものであったろう。

その点羨ましかったのが、2年の時の同級生H君。彼はほぼ毎週見に行って

いたようだ。教室で身振り手振りよろしく見てきた映画の話をしてくれたが、

特にダニーケイが好きで物真似入りだった。虹を掴む男とかダニーケイの

牛乳屋なんてのがありましたね。話は飛ぶが、ひと頃小泉純一郎氏が

リチャード・ギアに似てると言われたが、私に言わせればダニーケイだ。

時移り最近何を見たか。その主なものは新しい順に次のとおりです。

レスラー、ブッシュ、夏時間の庭、グラン・トリノ、スラムドッグミリオネア、

フロスト・ニクソン、チェンジリング、東京ソナタその他。

感想とかは省略です。

ではまた。

 

 

 

2009年6月21日日曜日

こんにちは(^−^)。

写真集、見て、懐かしがって、います。色々な人達、のアドレスも、解りました、これから、メール、したいと、思いますが、目が、すぐに、参ってしまって、思うようにいきません。歳を、つくづく、と感じております。足も
腰もガタガタですが、目も歯もだめですね、今スポーツクラブ(ティップネス)に通ってます、主に(エアロ)
やってます。ジムとパソで、文武両道、なんて、言って、やってます。本当言うと、無理してます。
「男はつらいよ」が本音です。ではでは、(^0^)。

梅雨見舞い

超級大老爺こと小出です。
いよいよ本格的な梅雨入り、しばらくは鬱陶しい天気が続きそうですね。
ところで、津田さん、お久しぶりですね、お元気な様子何よりです。この名前を見るのは
何年ぶりでしょうか!昔を思い出しますよ。
パソコンを始めたとの事、近況やお便りを発信してください。
小生は今年も中国通い、昨年11月に成都在住の朋友の地震見舞いに
行きましたが、7ヶ月ぶりに、今月末から中国青海省のアムネマチン山脈へ高山植物の

花の写真を撮りに行ってきます。いい写真が撮れたらまた、ブログでご紹介するつもりです。
今夏は8月末に松涛の仲間の佐内さんを中心にしたグループで「張家界」の観光に
行くことで計画を進めています。佐内さんグループとは「麗江、昆明、桂林、上海」の旅以来
2年ぶり、「張家界」は小生も行ったことがなく楽しみにしています。ご希望があれば小生まで
ご連絡下さい。
木下君が作ったこのブログもっと投稿を増やして活用しませんか?

2009年6月19日金曜日

こんにちは。

パソコン歴三か月の、津田国克です。ハマって、ます。宜しくお願いします。

2009年6月15日月曜日

サイトマップを作りました

 右サイド欄に「松涛4関係サイトマップ」を作りました。クリックすると全体が表示できます。ご活用ください。自分のホームページを登録したい人は申し出てください。

木下恂(knuhs)

2009年6月14日日曜日

運動会の音楽

松涛中学で過ごした3年間が、私にどのような影響があったか?そのときは全く気にも留めなかったことが、今の私の趣味趣向などに、甚大な影響を及ぼしているような気がします。それは次のようなことです。ある日、ラジオをつけると、何か懐かしい旋律が聞こえてきました。それは何だったかな?と考えてみると、松涛の運動会のときにスピーカーから流されていたもので、曲が終わるとアナウンサーが、「グノーのファウストのワルツ」といいました。また、名前は聞いていましたが、日本では感心が無かったバレーのDVDを家内が図書館から借りてきました。それはコッペリアとジゼルと言うもので、名前は日本でも聞いていました。家でかけてみると、その音楽は、正に松涛中学の運動会などでスピーカーから流れてきた旋律の類でした。私はすっかりこれにハマッテしまいました。なんと、60年近く前、何の気にもかけなかったことが、私の老後の生活を、かくも豊かにしているとは!昔、疎開先の田舎で食べたカボチャ入りのうどんなどが、私の食べ物の嗜好を決めたように。
 
伊東宏

2009年6月13日土曜日

大変ご無沙汰しています

最後にお便りしたのは、確か去年の初めだったと思います。その後、何事も無く過ごしております。去年の四月に、ほんの短い間東京に滞在しましたが、殆ど家内の方の用事で忙しく、何処にも行く時間がありませんでした。残念ながら、松涛、上馬、桜新町、尾山台、調布、日暮里、立川、国立、それから疎開先の山梨、その後に寄宿舎生活をした鎌倉など、懐かしいところは何処にもいけませんでした。誠に残念でした。今度は二人でゆっくりこれらの場所を回るつもりです。
 
ここ西豪州は、5月半ばを過ぎても雨が降らず、大変心配でしたが、月末になってやっと降り始めました。農家は作付けに滑り込みセーフといったところです。
 
70歳になりました。そうして、ますます松涛中学のころが懐かしくなっています。あの頃の渋谷の町を歩きたい。玉川電車に乗って、上馬、桜新町、そして二子玉川まで行ってみたい。そこで乗り換えて尾山台。ああ、そういえばもう玉川電車はないんですね。
 
最近、家内が近所の図書館から沢山の本を借りてきました。その中に、ハリーポッターと言う七巻からなる怪奇物語がありました。読んでみると、表面的には子度向けの物語を装いながら、何か私が人生で経験してきたことに符号する何かを暗示しているような気がして、繰り返し三度も読んでしまいました。これは私達のような、子供のころ寄宿舎の寮母さんに寝る前怪奇小説を読んでもらった世代だけにアピールするものと思っていましたが、聞くところによると、日本の子供にも翻訳で読まれているそうです。と言うことは、確かに歴史には周期があり、私達の子供のころから、それが今一巡したとも考えられます。そのほかの本はダビンチコードというのと、また、古い話ですが、シドニーシェルダンと言う人の大衆小説があります。これは読み出すとドキドキハラハラ、やめられなくなり、10冊も読んでしまいました。また、40年前に読んだスタインベック、ジョセフコンラッドなどの本を読み直しています。
 
以上のことから、確実に老いが始まっていることがわかります。
 
伊東宏
 
 
 

いつもお世話になっています。山下です。


 山下健二さんからの連絡です。山下さんに代わって投稿します。「定年時代」という折込の新聞だと思います(knuhs)。

 いつもお世話になっています。15日(月)の朝日新聞の折込に添付の記事が掲載される予定です。ご参考までに添付させていただきました。

山下健二