2013年9月23日月曜日

滝沢先生

私達の時、都立高校に入るアチーブメントテストに英語はありませんでした。それで松濤でも英語の先生は教えにくかったと思います。私は松濤の3年 間を通じて滝沢先生に教わりました。教科書は「ジャック アンド べティ」でした。そして、各学年の終わりには、各巻の終わりのレッスンをやり残 して、次の年には新しい本に進んだと思います。滝沢先生は「高校に入ったら英語が一番大事になるから、しっかり勉強しなさい」とおっしゃいまし た。

高校に入って面食らったのは、一年生のとき、戦前文理大で指導したハロルドパーマー先生の弟子が、パーマー流のオーラルメソッドで教えたことで す。これは私には効果がなく、恐怖以外の何者でもありませんでした。しかし2年になると文法訳読式になり、私はホッとしました。当時は理工ブーム で、何が何でもどこかの工学部に入ろうと必死で、英語は一年の最初の教材から勉強し直しました。

次にオーラルメソッドに出くわしたのは、慶応英文科の大学院の時、選択で国際センターの「日本語教授法」を履修した時です。そこでは戦時中、日本 占領下の日本語教育の、パーマー、長沼直兄の伝統が固守されていて、オーラルメソッド一辺倒でした。豪州でこれで日本語をならったシーク族のイン ド人などに会いました。しかし十年後、国際センターを訪れると、この方針は放棄されていました。

英語教授法にも幾多の変遷がありました。私が教えた中学、高校では大金をかけてランゲージラボをつくりましたが、10年後には殆ど廃止され、普通 の教室になっていました。

日本では今でも、「小学生英語」など、英語教育問題が未解決のまま論議されているようです。

伊東(望月)宏

2013年9月21日土曜日

伊東宏 さんが投稿「伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました」にコメントを書き込みました。

伊東宏 さんが投稿「伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました」にコメントを書き込みました。

私は早稲田の応用化学を落ちて数学科に回され、叔母の勧めで慶応で英文学を専攻しました。その結果、日本では英語の教師、そして豪州で日本語教師をすることになりました。語学の才能があるわけでは全くなく、「豪州に住んだら英語が話せる様になる」という、「エエ格好シイ」の迷信から、誰も応募しなかった職に飛びついたわけです。慶応の大学院の先生や、高校や一時勤めた旅行社の同僚の話から、「英語国に住んだら英語が出来るようになる」というのはどうもウソくさいとは感じていました。でも「豪州に2〜3年住んで英語が流暢になったら、日本に帰って来て、『見事な技で』皆の鼻を開かせてやろう」という魂胆で行ったものですから、一生ここに住まなくてはならないハメになってしまいました。

50年前を振り返ってみて思い出すのは、国立駅のそばで塾を経営していた外語大中退の人など、日本を一歩も出ていないのに、ここに40年も住んだ私の100倍も英語が出来る人が当時私の知っている限りでも、大勢いました。

伊東(望月)宏



投稿者: 伊東宏 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月20日 18:01

2013年9月19日木曜日

伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました

匿名 さんが投稿「言語感覚」にコメントを書き込みました。

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投稿者: 匿名 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月19日 7:14