木下様
宏さんの事ご連絡していたようですね。思いもしない急逝で動転してしまいどな
たにご連絡したのかも定かでなく混乱しておりました。
家に引きこもり涙に暮れる毎日でしたが心身共にこのままではいけない、と社会
に接する時間に切り替えこれからますます必要になった英語クラスに通 い始め
ました。クラスでは最長年齢ですが勉強は生涯ですから若い人達に混じって励ん
でいます。
さて、松濤には2000年4月8日に渋谷の「忠犬ハチ公まつり」を通って松濤
中学校に行き、桜と校舎の写真を撮りました。鍋島公園も見事な桜で暫 く座っ
て景色を堪能しました。渋谷の駅近くは混雑ですが松濤の住宅街は別世界のよう
に閑静で落ち着きました。
2002年12月13日に佐賀県神埼町にある「佐賀県史跡・伊東玄朴旧宅」に
県庁職員の方が案内して下さり宏さんの4代前の先祖の生家を見せて頂 き写真
も沢山撮りました。長崎で西洋医学をシーボルトから学び江戸に渡り日本で始め
て種痘をし多くの命を助け、のちに将軍の筆頭従医となりまし た。明治時代に
入り学制が敷かれた際玄朴の医学所や医療器具が全て政府に寄贈され、それが現
在の東京大学医学部になりました。1880年に生まれ た家が県の史跡として
その当時のまま維持されていますのでもしご興味のある方がいらしたら、神埼の
小山の中腹で眺望も良く季節の花も綺麗です。頂 上に神社があり神主が玄朴の
親族だったそうです。
伊東静子
初めて聞く話が多く、大変興味深く読ませて頂きました。
返信削除ありがとうございます。
木下恂