2021年3月14日日曜日

今だから話そう「『ソフトウェアの法則』の裏話」


・Knuhsの書斎 から転載

── 私の「記憶の引出し」から

はじめに
 コロナ禍の中で家に引き籠っていると、外部からの刺激が少ないせいかエッセイのネタがさっぱり浮かんできません。そんなとき古い資料を整理していると(“整理”と言うと聞こえは良いが、単に引っ掻き回しているだけなんですが)、昔書きたいと思ったが結局は書かないままにしてしまったテーマや出来事の数々が思い出されてくるのです。

 そして、捜している資料が運よく見つかったりすると、それを読み始めて止まらなくなってしまうのです。そんなときは必ず若い頃の気持ちに戻ってしまい、私の“記憶の引出し(*1)”をフルに活用すれば、何か書けそうな気がしてくるのです(困ったものです)。そして体力が続くかどうかも考えずに年甲斐もなく厄介な仕事に挑戦してしまうのです。文章を書くことはボケ防止にもなるからと自身への言い訳に利用しているのです。
【注】(*1)「記憶の引出し」については、別途紹介することにします。
プログラムの掲示
 古い資料の中から偶然見つけたのですが、以下に示すような社内掲示板に載せた記事(program)の控えを発見しました。
 先ず、これが掲示板の読者に向かって私が何を伝えようとしたかを読み取ってください。冒頭の日付が『ソフトウェアの法則』という本の発売日になっている点がヒントになるかもしれません。

登録者 (TSE)木下 恂 990092050039   登録日時 95-10-25 13:00
表題   program

program:
  //* 『ソフトウェアと‥‥』の加筆修正版を読みたい方へ

declare:
  Book = "ソフトウェアの法則(中公新書)";
  me   = TgMailAddress(990092050039);

start:
  if ( you.want(to.Read(Book)) )
  then if ( your.conditions == TRUE )
       then
       {  send(mail) to(me) title("贈呈希望: '社内便宛先' 'YourName'");
          wait(a_few_weeks);
          if ( you.are(fortunate, enough, enough, enough & enough) );
          then you.may(receive(Book));    //* may = かもしれぬ
          else goto BookStore;            //* with money
       }
       else goto BookStore;               //* asap
  else ;  //* I still hope you goto BookStore. (挿絵もあるでよ)
  exit;

 your::conditions
{  1:社内便が使える
   2:締切り(この掲示が消される)前である
   3:自費で買えない事情がある
   4:読んだ後、複数の知人に購入を勧めたい
   5: me の悪口は言わない
}

how_to_select
{  //* 私情は一切まじえないことを誓う(たとえ応募者が東芝社長でも)
   1:i = 10 (贈呈する本の冊数)              //* え? ケチだ?
   2:応募者の名を、到着順に表 T へ登録する  //* 面倒だけど
   3:重複応募した人の名を T から削除する    //* 断固として
   4:表 T が空なら、終り                    //* むむ? 人気がない
   5:表 T に 0,1,2, ... と順番号を振る      //* ゼロから数える
   6:n = 最後の応募者の順番号               //* 最後の人できまる
   7:if (n<i) then { 全員当選; 終り }       //* よかった、よかった
   8:m = 順番号 n の人のメール番号          //* 英字があれば 0 とする
   9:k = m mod (n+1)                        //* 計算が面倒なので下5桁
  10:順番号 k から k+i-1 までを当選とする  //* 表はサイクリックに見る
  11:終り                                   //* やれやれ
   //* 当選者は、メール番号の下5桁と名前の頭文字のみで発表します。
}

end; //* 本掲示は、vox掲示板管理者の承認を受けています。


 プログラムとは、自分の意思(プログラムの内容)を人やマシンに伝えるためのものですから、伝わりさえすればどんな言語で記述されていても構いません。ここでは英語風に書いてみました。誰にでも大体の意味は分かるだろうと思います。ただ、読む人が理解したいと熱意を持って努力するかどうかで理解度も変わってくるものです。

▼プログラムの意味
 前出の“program”は、実は発売したばかりの『ソフトウェアの法則』という本を「希望者に贈呈しますよ」と伝えるための掲示だったのです。しかし『ソフトウェアの法則』という本のことを知らない人が多いと思いますから、先ず、本が作られた経緯から説明することにしましょう。

本が出来上がって‥‥
 この本が出版された(1995年)当時、世間では「パーキンソンの法則」とか「マーフィーの法則」とかが有名でした。私はコンピュータのソフトウェア開発の分野で仕事をしていましたから、“ソフトウェアの法則”があっても良いのではないかと考え、ソフトウェアに関するエッセイを書き上げるとその最後の部分に、関連するテーマで“ソフトウェアの法則”の新作を添えるようになりました。

▼掲示板へのこだわり
 そのときエッセイを投稿していた場所が実は全社的に活用されていた社内掲示板だったのです。いろいろな掲示板が作られていましたが、私が主に活用していた“vox”(ラテン語で“声”の意)という名の掲示板にはコンピュータ関係の情報が掲示されていましたから多くの参加者がいる特に活気のある掲示板だったと思います。ここで私は、コンピュータのソフトウェアに関する投稿を通じて多くの仲間から鍛えられてきたのです。

 その結果として生まれた本ですから私は「掲示板」にこだわりたかったのです。たとえば、章番号の1,2,3‥‥は、掲示板Ⅰ, 掲示板Ⅱ, 掲示板Ⅲ‥‥ と表記されています。最後の「あとがき」の後ろに置かれた“ソフトウェアの法則集”は「特定掲示板」と命名され裏表紙の方から表表紙の方へ向かって読むように工夫されていました。しかし、こういった掲示板にこだわった造りに気が付いた人はいなかったようです。

 そうやって書き溜めたエッセイと法則集とを一冊の本にまとめて出版することになったとき、私は、密かに書名を“ソフトウェアの法則”にしたいと考えました。同時に掲示板上で知り合っていろいろと協力してくれた方々にその本を贈ることができたらいいなぁと思ったのです。

 多くの技術者が見る掲示板ですが、特にプログラミングに関心のある方々を選んで贈呈するにはどうしたらよいか、といろいろな方策を考えました。そしてプログラム
を記述するプログラム言語と同じようにアルゴリズム(論理)を使って私の意図を program 上に詳細に記述してみたのです。

 出版された日の午後、私は会社の休憩時間になってからこれを掲示板上にアップしたのです。
 このプログラムで私が何を伝えたかったのか、プログラミングに関心のない方でもある程度は理解してもらえたのではないかと思います。いかがでしたか。

書名について
 実は、本のタイトル(書名)を“ソフトウェアの法則”とするに当たっては大きなリスクを抱えていたのです。
 当時書き留めていた“出版までの記録”(以下に示します)が残っていたので、それに沿って説明することにします。「ソフトウェアの法則」という書名を思い付いたのは原稿を出版社に渡す前のことですが、正式に出版社から決定通知をもらったのは 1995-8-25 のことでした。

出版までの記録
出版までの記録

 出版の初期の段階から発行されるまでの8ヶ月間、このタイトルが他の出版物で使われてしまう可能性があるので心配していたのです。特に正式に書名が確定してからの2ヶ月間はストレスは相当なものでした。もし他の本で使われてしまったら書名の変更が必要になります。代わりとなる適当なタイトルは思い浮かびません。出版予定日の前日(1995-10-24)の夜になって、私はやっと「これで大丈夫だ(!)」という確信を持つことができたのでした。

 そこで気が大きくなったのでしょう、お世話になった社内掲示板の仲間たちに贈呈する計画を実行に移すことにしました。単に「本を贈呈をする」と言うよりも私の「ソフトウェアと〇〇」という一連のエッセイの読者でプログラミングに関心のある方に贈りたいと思って工夫をしたのです。

当選者は‥‥
 program に書いた通りに10名を決定しましたが、締め切り後に2名の方が欲しいと申し出てきたので、結局12名の方々に贈呈することにし社内便で発送しました。
 ところが、実は最近までずっと12名の方に贈呈したと思い込んでいたのですが、この文章を書きながら念のため過去の記録を調べてみました。すると驚いたことに14名に贈ったという記録が出てきたのです。当選者の名前と社内便の発送日時から考えて、どうやら以下のようなことがあったと解釈しました。

 program の解読に成功し、かつ細かい応募条件を満たして「本が欲しい」と伝えてきた人は予想外に少なかったのです。最終的に応募者は12名となりましたが、2名だけを当選外とするのは気の毒になってしまいました。結局12名全員の当選にしてしまったのだと思います。その後で、締め切り後の応募が2名あったというのが実際のところだったようです。社内便での発送日の違いからそのように解釈しました(人の記憶などというものは本当にあてになりませんね)。

 当選のためのルールを勝手に決め、その挙句に勝手に変更しているのですから世話がありません。約束通りにできなかったことを申し訳なく思っています。

 後で知ったことですが、同じ東芝グループの会社間でも社内便が使えない事業場があるのだそうです。最初から応募を諦めて“goto BookStore;”に従って書店に走ってくれた方々がいたことも知りました。応募者の数が少なかったのは、多分そのためかもしれません。重ね重ね申し訳ないことでした。

本に虫が‥‥
 「本の虫」と言うと、それは四六時中本を読んでいるような読書の好きな人のことですが、書物に取りつく“シミ”や“シバンムシ”などの本当の虫を指す場合もあります。しかしここで言う“本の虫”とはコンピュータの虫(バグ)のようなものを指しています。つまりプログラムのバグと同じで誤植のことです。

 発売前に十分な校正作業を行って誤植のない状態にするべく努力するのですが、初版の段階ではいろいろな虫が発見されることが多いのです。この本も例外ではなく、残念ながら出版後にいろいろなバグが出てしまいました。それも私のミスで生じたとんでもない虫を発見してしまったのです。

 発売直後のことでした。家で何気なく本のページをパラパラとめくって見ていたときに突然気が付いたのです。「ソフトウェアと環境」の章で使った挿絵に間違いを発見したのでした。この章で私は、コンピュータの開発環境について書いているのですが、その中で日本の家屋が狭いことを欧米人が兎小屋“rabbit hutch”と揶揄していることに触れました。そのため挿入したカットが以下のものだったのです。


 ( 修正前の挿絵 ) 

 このカットを描いたとき、止せばよいのに表札を描いて“Rabit”という名前を書いてしまったのです。何気なく見ていて突然気が付いたのですから、普通なら自慢したい(*2)ところですが、その瞬間の私は背筋が凍り付くような想いでした。
【注】(*2)プロのプログラマになると、他人の書いたプログラムリストをチラッと見ただけでバグを見つけてしまう名人もいるのです。
 恥ずかしい。どうするか? こんなみっともない状態を放置することはできません。私は出版社に電話して挿絵の入れ替えをお願いしました。それが“出版までの記録”の日付 11-02 の場所に記録されています。

 幸い、出版社は挿絵の入替えを許してくれました。修正されたカットは早速出版社に送られ二版以降は修正されています。修正版は私のウェッブ上の“美術館”の中に『「ソフトウェアの法則」で使った挿絵の原画集』として飾られていますが、この挿絵の原画だけはその後行方不明になっています。飾られている修正版は二版以降の印刷物からコピーしたものです。興味のある人は比べてみてください。

【追記】
▼なお、2001-11-23 以降は『ソフトウェアの法則』は、電子版として読むことができます。

▼『ソフトウェアの法則』の正誤表は、以下の場所で見ることができます。
  http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/seigohyou.htm




2021年2月23日火曜日

今だから話そう「幾何の問題 後日談」


・Knuhsの書斎 から転載

── いろいろな“解答”が届きました


はじめに
 “今だから話そう(4)”で「幾何の問題・正解集…」を紹介しましたが、例の幾何の問題の公表後 私の所に送られてきた“解答”なるものの幾つかをここで紹介したいと思います。かなり前のことになるので、私めの“記憶の引出し(*1)”をフルに活用する必要がありそうです。
【注】(*1)「記憶の引出し」については別途紹介します。
例1:超短時間で解けた!?
 問題自体は一見易しく見えるので「5分で解けた」と誤解する人が多いのですが「2分も掛からなかった(!)」という超短時間で解けたという報告が届きました。ただ、届いたのはメールの文章で以下の2行だけで証明そのものはありませんでした。

 今、わたしは、高3なんですが、解くのに、2分もかかりませんでした。
きっと、中学の定期テストにも、あんな簡単な問題は出てこなかったと思います。

 以下は、それに対する私の返信です。

拝復
 メールありがとうございました。
 例の幾何の問題のことですね。2分も掛からずに簡単に解けたとは、たいし たものです。

 ただ、ちょつと心配なのは「中学の定期テストにも、あんな簡単な問題は出てこなかった」とのことですが、この問題を解いて、難しかったと実感しなかったとすれば、それはこの問題の本質的な部分にまだ触れていない可能性の方が強いです。誰でも2分で解けたと早とちりする問題なのです。

追記:メールを出すときは、自分の名前を記してほしいものですね。

木下

 その後、20数年が経過しましたが未だ何の音沙汰もありません(*2)。多分勘違いだったのでしょう。
【注】(*2)この解答者は、Webメールを使っていたので今では連絡が取れません。
 それにしても高校3年生(当時の)が挑戦してくれたのは嬉しいことでした。解答なるものを見せてもらえなかったのは残念ですが。
 もっとも「5分で解けた」という類いの報告では、その後解答が送られてきた事例はありません。音信不通になるのはいつものことなのです。多分、解けたと勘違いし証明を書くことすらしなかったのでしょう。

 テストに限らず問題が解けたと思ったら先ず証明を書いてみることです。その間に自分の勘違いに気付いたかもしれません。そして最後に日時と自分の名前を記しておくことが大切です。これでは、テストの問題が解けたのに、白紙のまま名前も書かずに答案用紙を提出するようなものです。

 聞くところによると、高名な数学者のもとには「未解決の難問を証明した」と称する郵便物がよく届くそうです。そういうとき、受け取った先生は内心後ろめたさを感じながらも、そのままそっくりゴミ箱に捨てるのだそうです。もしかすると、それまで誰も思い付かなかったような方法で正しく解かれていたかもしれませんが、その可能性はほぼゼロに近いでしょうから読むのは時間の無駄なのです。妥当な判断だと思います。

 しかしこの問題はそんな未解決の難問ではありません。私も偉い学者ではありませんから、送られてきた解答はすべて目を通すことにしています。そして解答を読んでから感想を述べたかったのですが、残念なことでありました。

例2.差出人は?
 次の例は、普通郵便の封書で送られてきたものです。現在では、その文書そのものは手元に見当たらないので記憶だけを頼りに書くことにします。

 手紙はフルスカップ(*3)に手書きされたものでした。学生ではなく私と同年配の人のように思われました。
【注】(*3)フルスカップとはレポート用紙のように1枚ずつ切り離せる用紙で5ミリほどの間隔で横罫線が施されているものです。罫線はコピーすると見えなくなるので便利です。用紙は薄くて書きやすいので大学時代のレポートはこれに書いて提出することが多かったと記憶しています。
 証明には一部不明確な所があり(私には少し論理の飛躍があるように思えた)、数回のやり取りで手直しが行われ最終的に正解ということになりました。

 この間、私はフルスカップに手書きされた文面を眺めながらこの解答者はどういう方なのかと考えていました。フルスカップは大学ごとに作られていることが多いので大学名が印刷されていたり、大学のマークの透かしが入っていたりします。仔細に観察するうちに私は大学名を判別できてしまったのです。どうやら解答者は大学の関係者のようでした。多分、大学の先生かもしれません。そう思うと私は急に心配になってきました。今まで何度か手紙のやり取りをしてきたので失礼が無かったか、保存してあった手紙のコピーを読み返すことになりました。

 幸い、普段から社内の電子メール環境のもとで文章作成では鍛えられていましたからミスはなかったようです。社内の掲示板上で交流のある方々は、お互いに地位も年齢も顔さえも知らない場合が多いのです。普段からどんな人とでも同じ文体で礼儀正しい言葉遣いで文章を書くようにしていましたから、相手が企業人だろうと先生であろうと、あるいは学生や子供だろうと常に同じ調子で書いてきました。特に問題となりそうな表現はなかったのでホッとしました。

 ただ、最初に名前を見たときからどこかで見た名前だなとは思っていました。どこかでお会いしている人かもしれません。大学名が分かった時点で「もしや‥‥」と思っていたのですが、私は1年程前に求人のためこの大学を訪問していたのです。そのときの記録を確認すると、間違いなく当時お会いした就職担当だった教授の名前であることが分かりました。

 早速、私は気がつかなかった失礼を詫びる手紙を先生に書いたのですが、先生の方は先刻承知の上で何も触れずに問題の解答を寄せられたのだと思っていました。しかし先生からの返信によると、先生自身も気が付かずに手紙を書いていたことが明らかとなりました。珍しい経験をしたものです。

例3.敗北宣言
 東芝社内の方からは敗北宣言のメールが届きました。それを受けて、私が掲示板に載せた報告が以下のものです。

登録者 (TSE)木下 恂 990092050039   登録日時 94-02-09 16:50
表題  例の幾何の問題に挑戦している方々へ

 以下のような奮戦記が寄せられました。言い出しっぺとしてはいささかの責任を感じております。現在、正解された方は2名(私を除いて)で、解法は4種類になりました。正解した方にのみこの解法を公開していますが、どうしても解法を知りたいという方はご連絡下さい(余り多いと対応できませんが)。

以下、投稿者の承諾を得て。
*************************
こんな簡単な難問は初めてです。毎日思い出すたび通勤電車の
なかで、考えてもわからず、ついに昨夜11時ころからTVを
見ながら結局3時間考えても、正解に至りませんでした。
  (三角形ABC で BD,CE が角の2等分線)
1.ABD と ACE が合同の証明ができればOK.
2.BD と CE の交点を F(内接円の中心)
   とし、Fを通る直線と、直線AB,ACから成る三角形で
  F上の辺の長さが同じものは二つ以上存在しないことを証明する。
***
とここまでは良かったのですが、これ以降アイデアがでず、
2の証明として、AF も角Aの2等分線であることから代数的に
証明できそうだ、という結論であきらめました。
非常に残念です。
 途中であまりの腹立たしさに、反例を見つけようと電卓で座標計算
したら、(角Bを90度として)どうもなさそう・・・
気をとりなおして上記の結果までやっとたどりつきました。

間違った回答例になるでしょうか。 -以上-
*************************

例4.公開しないで!
 読者からは「絶対に自分で解きたいから公開はしないで欲しい」と言われているとこれまで公言してきましたが、現在ではそれをどこで読んだかは思い出せません。「本当かよ?」と疑われないよう証拠を示しておいた方が良いと考えました。

 そこで試しに、メーラー上で「公開しないで」をキーにして検索したところ、以下のものが引っ掛かりました。私信なので一部だけ切り取って紹介します。全面紹介するには、本人の了解を得る必要がありますが、現在は連絡が取れない状態なのです。心当たりの方は連絡を頂けると有難いのですが。

Date: 11 Dec 1995 14:08
************(個人情報略)*************
 また、メールで失礼いたします。
 相変わらず三角形解けません。 (^^;;
(本を購入して、2ー3日電車の中で考えただけですが)

ソフトウェアの法則
 先月だったか、紀伊国屋 新宿
で購入しました。 15冊程横積になっていました。 VOX には良く目を
通していたのですが、半分くらいしか記憶になく、楽しく拝見し、
現在は、職場の後輩に貸してあります。

数十年後の或る日、この書籍を手にとったら、きっと一番良き時代として
当時のことを思い出すことになるでしょう。
(その時まで、絶対3角形の解答は公開しないで下さい。)

************( 以下略 )*************

 私の他の投稿に対するコメントをメールで頂いたのですが、「私信:伏せ字 と 雑談」というタイトルで、その中に書かれていたものでした。日付は「Date: 11 Dec 1995 14:08」となっていました。

 周知の通り、既に正解集は公開されています。期待に応えることができず申し訳なく思っております。


2021年2月17日水曜日

トランプ・ニュース?


・Knuhsの書斎 から転載

── えせ情報を流す人の呼称


 4年前(2017年2月16日)、トランプ大統領が誕生した時に書いたものだが、ホームページ上には載せなかったことに気が付いた。遅ればせながら(一部手直しをして)掲載することにしました。

=========================
トランプ・ニュース?

 世の中ではウソのニュースが流布されている。しかし人々は決してウソ( lie, lying )という言葉を使わないようにしているらしい。

 post truth(ポスト真実)、alternative facts(代替可能な事実)、fake news(フェイクニュース)などという変な表現が使われている。どうもしっくりとこない。私は、はっきりと「嘘つき大統領」とか「ウソ・ニュース」とか「うそつき総理」とか叫びたいのだが、そう言うと良識が欠けているとみなされるのだろうか。

 そこで私は英和辞典で調べてみた。trump には「捏造」という意味があることを知った。なるほど、よくできた話だ。トランペット(trumpet)を吹く、という言葉は「ほらを吹く」という意味もある。「トランプター」という用語はここから派生した言葉のようである。なるほど、そうなのか。

 偉い人のちょうちん持ち発言をする人のことを、trumpeter(発音は トランペタ に近い)という。あの報道官は典型的なトランペタなんですね。

 これからは、えせ情報を流したり、それを吹聴する人のことを「トランプ・ニュース」、とか「トランプ大統領」、「トランプ総理」などと呼んだらどうでしょうか。

 前大統領となった今、トランプ氏に向かって「トランプ大統領!」と呼び掛けたら、彼、大喜びすると思いますよ。


  



2021年1月16日土曜日

今だから話そうの新版を掲載しました


今だから話そう「幾何の問題・正解集の公開」
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/imayoteiblog.htm

2020年12月29日火曜日

今だから話そう「人種差別」


・Knuhsの書斎 から転載

── アメリカにおける人種差別


▼人種差別
 アメリカでは、黒人差別の問題が起こると“Black Lives Matter”(BLM)という表現を使って盛んにアピールするようになった。BLMは日本語に翻訳すると「黒人の命も大切だ」という意味になるらしい。何んとも、こなれていない訳ではある。

 「黒人の命“”大切だ」ではなく「黒人の命“”・・・」と表現するところが重要なのだそうである。“”では黒人以外の命は大切ではないのか?! と異論が出てくるから“”にしたのだという。日本語の表現でこんな議論がなされていると知ったらアメリカの人たちは驚くことであろう。

 英語の“Matter”は「問題」とか「重大な事」という意味だから「大切だ」とか「大事だ」と解釈しても構わないが、ここでは単に「○○問題」として固有名詞のままの方が自然で、かつ使い勝手も良くなるのではないかと思う。

 更に言えば、アメリカにおける人種差別では単に白人が黒人を差別するという単純なものばかりではなくもっと重層的である。同じ白人でもいろいろな人種が混じっている国だから白人間でも差別が存在する。人種とは関係なく貧富の差で差別されたり、差別される者が更に弱い者を見つけて差別するという場合もある。もちろん日本人も差別の対象となっている。

 つまりアメリカにおける人種差別では、すべての階層に渡って何らかの差別が存在している。それらは必ずしも命に係わるものばかりではなく、いじめや嫌がらせ、無実の罪に陥れるといったものまで様々なものが含まれている。そういうものを無視して“Black Lives Matter”と言って黒人への差別だけを取り上げるのはいかがなものかとも思う。したがって日本で言及するときは“黒人”も“命”も省いて単に「人種差別問題」と表現すべきではないかと思うのである。

 私が仕事でアメリカに長期滞在していた頃の体験では、差別の程度は今とたいして変らないように思う(差別に関する私の当時の感度が鈍かったのかもしれないが)。しかしトランプ大統領以降の、あのあからさまな差別的発言や差別的政策には正直、驚かされている。

 たとえば、警官による黒人への差別的な扱いは昔からあった。最近急に数が増えた訳ではない。今まで公になっていなかったものが暴露されるようになっただけのことである。これには日本人のある発明が寄与している。

 携帯電話の技術的進歩の過程でカメラ機能が付加されたのは日本人技術者の努力によるものである。スマホにカメラ機能が常備されるようになった結果、身近に起った出来事の多くは、たまたまその場に居合わせた人のカメラで撮影される機会が増えた。ちょっとした暴行事件でも簡単に映像データとして残されるようになった。

 それまで目撃証言と言えば、警察関係者からのものばかりだったから、事実が隠蔽されることが多かった。それがスマホのお陰で証拠が明るみに出るようになったのである。リアルな映像情報の存在は、想像以上に強力な決め手となることを我々は学んだのである。

▼私の体験したこと
 アメリカ生活が長くなりいろいろな体験を重ねる内に、気が付くと自分も同じように人を人種で区別し常に警戒的な目で見ていることに気が付いた。
 以下に、私の体験のいくつかを紹介してみよう。

(1)事例1
 私が滞在していた当時のソフトウェア会社や研究所などでは、技術者同士で議論をしていても黒人の技術者が席を外すと、残った白人がその黒人の悪口を言うという場面によく出くわしたものである。私はそれを聞いていて人種差別の一端に触れたような気がしていやな気持になったものだ。そして、もう少し仲良く出来ないものかと思ったりした。

 後から考えると、当時のアメリカのソフトウェア会社や研究所内の職場では滅多に黒人技術者の姿を見掛けることはなかったような気がする。黒人の女性事務員はよく見かけたが。これも人種差別の結果であることに気が付いたのは、その後十数年経ってからである。

(2)事例2
 研究所で仕事をしていた当時のことである。日本人技術者3人で夜遅く帰ろうとして駐車場に出て、自分の車の置いてある場所へ向かって歩いていた。夜も遅いので車の数も少なくなっていたので遠くから自分の車が見える。よく見ると車のボディーが何か変にキラキラと光っているようだ。不思議に思って近づくとリアウインドウのガラスがすべて粉々に打ち砕かれてなくなっているではないか。ガラスの破片がボディーの上や車内の後部座席の上一面に散らばっていた。暗くて破片がよく見えないので危険である。後部座席には乗れそうにない状態になっていた。

 昼間、車を駐車させたとき近くで黒人の若者たちがたむろしてこちらを見ていたのを思い出した。「やられた!」証拠はないが彼らの仕業に違いない。

 3人で使っている車なので、全員前の座席に座って私が仲間を順番に自宅まで送って行ったのを覚えている。レンタカー屋で借りた車だから事故保険に入っているので金銭的な被害はないからよいが、悔しい思いだけは残った。

 その他、昼休みに運動を兼ねて街中を歩いていると、遠くから黒人の子供達に石を投げられたこともある。そういうときはいちいち反応せずに無視するに限る。そういうことが度々起こると精神的にかなりタフでないと生きて行けないと思うようになる。そして自然に黒人には警戒心を持つようになっていった。気が付くと自分も差別心をもっていることに気が付いたのである。

 それまでは、夜帰宅してから家の近所をジョギングしたりしていたが、これは極めて危険な行為であることをアメリカの友人に教えられた。以後、夜の運動はしないことにした。

(3)事例3
 アメリカで生活するには常に車が必要である。長期間の滞在予定が決まっていれば車はリースで借りるのが費用の点で望ましい。しかし私のように技術者として派遣された場合は、滞在期間がはっきり決まっていないことが多い。プロジェクトの成否によって決まるからである。プロジェクトが突然打ち切られる場合もあるから長期間借りるのはかなりリスキーである。

 そこで私は、普通は1ヶ月単位でレンタカーを契約することにしていた(これは会社の指示でもあった)。毎月契約の切れる直前にレンタカー屋へ行って再契約していたのだ。車好きの人なら、いろいろな種類のアメ車に乗りたいと思うだろう。毎月異なる車を借りればよいのだからこんな贅沢な借り方はない。しかし私は仕事の方を優先しなければならない立場だから、安全運転のためには使い慣れた同じ車を使い続ける道を選んだのである。

 あるとき再契約に行くと、レンタカー屋の女性の係員が出て来て私の乗ってきた車をチェックすると言いだした。今までそんなことを要求されたことは一度もない。女性係員は外に出て来て私の乗ってきた車体の周りを一周して観察し始めた。そして「ここにキズがある」とか「ここにも擦った跡がある」と難癖を付け始めたのである。「それは借りたときからあった瑕だ」と主張しても一向に聞き入れようとしない。書類に細かく記入している。明らかに嫌がらせである。東洋人だと差別的に扱われることを私はしばしば経験していた。

 私は黙って見ていることにした。たとえ瑕が付いていても保険でカバーされるから少しも困らないと分かっていたからである。

 書類への記入が終わったところで、彼女は私の契約書を見てある項目を読んで慌てることになった。そこには“Full Coverage”(事故を起こしても全面的に保障される契約)という項目があり、その頭にチェック印が付いているのに気が付いたからである。

 彼女が今作ったばかりの書類をどう扱うか、私は黙って見ていることにした。作った書類が無駄になったときはその人の見ている前で破棄するのがルールである。彼女は悔しそうにその紙を破り捨てたのであった。私は「ザマ~みろ」と言いたかったがグッと堪えた。実は、そんな上品(?)な言葉の英語表現を知らなかったので、何も言えなかったのである。

 後で考えたのだが、あの時、日本語でよいから「ざまあみろ」と叫んでいたら、かなりの鬱憤を晴らすことができたのにと思った。私は、悔しいときは日本語で叫んで憂さを晴らすとよいことを、このとき学んだのであった。

▼企業人の注意すべきこと
 本稿ではアメリカにおける「人種差別」を取りあげた。この程度のことならなぜ今まで取りあげなかったのかと疑問に思う人がいるかもしれない。

 アメリカでの人種差別については、これまで私はエッセイの類いでは触れたことがない。それは企業人として触れてはならないテーマだったからである。その理由は、東芝のようなワールドワイドに事業を展開している会社の一員である以上は、他国の恥部に触れるようなことを書いてはいけないことになっていた。たとえ書く場所が社内報のような内輪のものであっても、現地法人に勤めているその国の人たちもまた会社の一員なのである。彼らが読んで気を悪くする可能性のある記事の取り扱いに関しては慎重でなければならない。

 そのために、社外に文書を発表する際は必ず会社の許可を得てから発表する規則になっている。
 最近のように、ネット上でSNS等に気楽に投稿する人が多い時代では、余計なことを“つぶやいて”何かと物議を醸して世間を騒がせている人が多いのは周知のとおりである。企業に属する方々は、社外に公開する文書の管理について増々扱い難くなる時代に生きていることを自覚し、油断なさらぬよう注意されたい。

2020年11月29日日曜日

今だから話そう「グリーンベレー」


・Knuhsの書斎 から転載

── もはや時効となったお話(2)


はじめに (長文です)
 長年に渡ってエッセイを書き連ねてきたが、テーマによってはどうしても書くのをためらうものがある。もちろん、個人的なことで失敗した話とか勘違いで恥をかいたような話は書きたくないのは確かだが、その類いの話はいずれ時間が経てば自ら人に話せるようになる。そう思って私は、これまでの人生で苦労したことや悩んだことなどをできるだけエッセイに書くことで身軽になって生きようと努力してきた。

 一方、仕事に関することだと機密事項もあるから、会社あるいは特定の個人に迷惑が掛かる恐れもあるので、どうしてもエッセイのテーマとして取りあげるのを控えてきた。その結果、仕事に絡んで抱え込んだ悩みの持って行き場がない。どうしたらよいものか。

 これまでは、親しい友人たちとの懇談の場で思い出話としてさり気なく話してしまえば身軽になれると思っていた。しかしそういう機会は案に相異してなかなか訪れないもので、いつまでも重荷を背負い続けているのが現状である。結局は“墓場まで持って行く”ことになると最近は思うようになっていた。

 ところが、コロナ禍以後私の考えが少しずつ変わってきた。もはや時効として公開しても構わないのではないか、と。「今だから話そう」シリーズにしたら結構面白いかもしれない(*1)
【注】(*1)シリーズにする程テーマが沢山あるわけではない。しかし以前紹介した“とっておきの話「コワイ先生」”は、実はその種のテーマに属していたものなのである。そこで、後から“今だから話そう「コワイ先生」”とタイトルを変更することにした。
 ここでは、今から45年程前、メインフレームのソフトウェア開発を担当していた頃の話を紹介したいと思う。

 PL/Iというプログラム言語の処理系(コンパイラ)を開発していたときに経験した話が中心となるので業務と密接な関係がある。そのとき経験したことの多くは、実は今まで個々には紹介してきた(*2)ものである。私は、日常生活で起こる様々な出来事になぞらえて、コンピュータの技術(特にソフトウェア技術)を分かり易く紹介するという方法を編み出し「ソフトウェアと〇〇」というタイトルの一連のエッセイに仕立て上げてきた。しかしその背後にあった私の関わってきた仕事については明確には触れないできた。今回は、それに言及しなければうまく説明できない話なのである。関係者に迷惑を掛けないよう心して書くことにする。
【注】(*2)今まで紹介した技術とエッセイのタイトル一覧は、最後の▼参考資料を見てください。
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2020年10月22日木曜日

歩数計




── 時間から歩数へ乗り換えました


 最近、歩数計を購入した。これまでにも歩数計は何度か買ったことがあるが、スポーツのときだけ使っていると直ぐ壊れてしまう。それに懲りて、ここ十数年は全く使っていなかった。

 若い頃はジョギングやサイクリングが主だったのでスポーツ時に使う計測用機器は腕時計型のもので実時間とストップウオッチ機能 それに心拍数を測る機能さえあれば十分だった。しかし齢を重ねる内にウオーキングが主流になると、今度は歩数計を使うようになった。歩数計を腰の辺りに装着したり、ポケットの中に入れたりして計測する。

 これが、何故かすぐ機能しなくなる。電池切れになったと思い電池交換をするが動かない。仕方なく、これは壊れたに違いないと判断することになる。小さい電子機器だと一度壊れると自分で修理するのは難しい。それほど高価な物ではないので修理に出すこともなくそのままにしてしまう。そして、またしばらくすると別の製品を買ってきて使うようになるという繰り返しだった。

 その内に馬鹿馬鹿しくなってきて、料理のときに使うキッチンタイマーさえあれば充分だと思うようになった。キッチンタイマーをどのように使うかというと、1時間のウオーキングをしたかったらあらかじめ半分の時間30分をタイマーに設定してから歩き始める。30分経ったところで警告音が鳴るから、そこで回れ右して同じコースを帰ってくればよい。その日の運動の記録としては、30分の2倍で1時間と記録する。一般道路を歩いていれば信号のある交差点に出会うから信号待ちしていれば時間が掛かり行きと帰りでは同じ時間にはならない。坂道があるかどうかでも違ってくる。しかしその程度の雑な測定で十分だったのである。

 最近、メールやSNSを通じて友人たちが「今日は3,000歩 歩いた」などと報告してくるようになった。それを読みながら私は「60分歩いた」と時間で表現するよりも歩数で表現した方が遥かに現実的で運動量の記録として残すに相応しいと気が付いたのである。

 しかし私には3,000歩がどの位の距離でどの位の時間が掛かったかは分からない。そこで自分も歩数計の利用者になれば、人によって歩幅に多少の差があってもある程度は推測が付くはずだと考えた。そうすれば友人たちの運動量と比較することができるではないか。そう考えて、私は懲りもせずにまたまた歩数計が欲しくなってしまったのである。

 今度は腕時計型のものにしてみたいと思った。色鮮やかな表示のスマートウオッチが流行っている時代だから、私も利用してみたくなったのである。早速、ウェッブ上で捜してみた。スポーツ用の多機能ウオッチが沢山あるが、どれも機能が多すぎるようだ(*1)。私には不要なものばかりである。
【注】(*1)体温、心電図、AI診断、心拍数、血圧、血中酸素、距離、速度、消費カロリー等。
 恐らく電池の持ちも短いのだろうと心配になったが、そういう点は説明には何も書いてない。スマホの様に毎日充電する必要があるとすればかなり面倒である。あれこれと考えあぐねている内にウオッチ型の採用には結構費用が高くつくことが分かってきた。これで直ぐ壊れてしまったらどうしようもない。さぞ後悔することであろう。

 そんなある日、新聞の新製品を紹介する欄を見ていて「懐中時計型歩数計 新発売」という記事を見つけたのである。時計機能と歩数計のみ! これがいい!! シンプルな構成が気に入ってしまった。きっとエコ製品であるに違いない。

 新製品というものは、予期せぬデザインミスがあるからその改良版が出てから買うのが一番安全な賢い買い方なのだが、私も歳だからそれを待っている余裕はない。企業発表の翌日のことだから、普段私が利用している通販サイトにはまだ登録されていないようである。仕方なく製造会社のホームページを捜して、そこから注文することにした。

 こうして手に入れたのが、以下に示すものである。

  
 カバーを開いたところ    カバーを閉じたところ 

 毎日のウオーキングでは、多摩川の河川敷沿いのサイクリングロードを歩くのでコースが決まっている。したがって歩数計は毎日ほぼ同じ歩数を記録(*2)する。しかしウオーキングのときは出来るだけ歩幅を拡げ大股で歩くことが推奨されているから、私の場合は大股で調子良く歩けた日には歩数が必ず少なくなる。ほとんどの利用者は歩数が多いと喜ぶようだが、へそ曲がりの私めは歩数が少ないと喜んでいる。
【注】(*2)その日の運動の記録として私は、歩数計に表示されたほぼ同じ値の歩数を毎回飽きもせずに記録している。
 毎日の運動のときだけでなく外出時にもいつも歩数計をポケットに入れて利用している。長年、外出するときは腕時計を使っていたが、時間に追われることもなくなり腕時計のバンドが鬱陶しくなってきていたので、これからは歩数計の機能だけでなく、懐中時計として時間管理にも利用することにしよう。文字も大きいので、メガネなしでも十分に読み取れるので大変助かっている。貴方(女)も試してみませんか?