もうすぐ4時半で仕事もソロそれ来ませんから、日課の散歩に行く前、私の担任
だった佐々木先生の、3年F組の卒業写真を見ています。松濤時代の思 い出が際
限もなく沸いてきます。そして先ず思い出すのは、一番上段の立花、坂庭、鈴
井、石川、沢登、松下の諸君です。石川君の一家のお店は私の家 から渋谷に向
かって行った左側にあり、そこで抽選つきの紅梅キャラメルなどを買いました。
立花、坂庭、鈴井の諸君は、当時すでに今の私より遥かに 大人で、しっかりし
た人物であったという気がします。沢登君は落語が趣味で、彼とよく「饅頭恐
い」などの話をしました。松下君は大変な秀才だった という記憶があります。
彼は卒業を待たず、家族の都合で名古屋かどこかの学校に転学されました。その
消息は友達から聞きました。私のとなりの吉塚 くんは、漫画「チビマルコちゃ
ん」の花輪君のような子でした。ハンサムで家が裕福で、確か絵か音楽か英語を
習っていたと思います。渋谷の世田谷よ りのところに、ご家族が薫風泉という
銭湯を経営していました。
伊東宏
2013年10月8日火曜日
2013年10月7日月曜日
「アイソン彗星記念コンサート」の御案内
山下健二さんから掲記の案内がありました。
ロイヤルナイツの男性コーラスによる星の歌、ロシアの歌などが楽しめます。
ご承知の通り山下さんはロイヤルナイツの一員です。
伊東さんの投稿が切っ掛けとなり、再び交流が始まるとよいですね。
ページ管理者(木下恂)
「アイソン彗星記念コンサート」
日時:2013-11-8 17:00(開演 18:00)
チケット: \3,500
場所:駿台学園プライマスメモリアルホール
ロイヤルナイツの男性コーラスによる星の歌、ロシアの歌などが楽しめます。
ご承知の通り山下さんはロイヤルナイツの一員です。
伊東さんの投稿が切っ掛けとなり、再び交流が始まるとよいですね。
ページ管理者(木下恂)
「アイソン彗星記念コンサート」
日時:2013-11-8 17:00(開演 18:00)
チケット: \3,500
場所:駿台学園プライマスメモリアルホール
2013年10月6日日曜日
相撲とテレビ
松濤時代を振り返ると、当時はまだテレビが普及していなく、相撲はラジオ放送
で聞きました。私も友達の筒井君などの影響で、相撲のラジオ放送をよ く聞き
ました。そのころは千代の山、鏡里、吉葉山、朝汐が横綱でした。その次に若乃
花、栃錦のいわゆる栃若時代が来ましたが、その時はもう高校生 で、白黒のテ
レビが普及していました。その後の柏戸、大鵬の柏鵬時代は、私の大学時代でし
た。そして、柏戸は私より1歳年上、大鵬は4歳年下でし た。相撲以外では、
私と実質1歳しか違わない美空ひばりは、松濤時代もうデビュー、活躍していま
した。石原裕次郎は5歳ほど年上でした。御両名と も52歳で亡くなりまし
た。今ではユーチューブのお陰で、当時の映像を自由自在に見られます。
伊東宏
で聞きました。私も友達の筒井君などの影響で、相撲のラジオ放送をよ く聞き
ました。そのころは千代の山、鏡里、吉葉山、朝汐が横綱でした。その次に若乃
花、栃錦のいわゆる栃若時代が来ましたが、その時はもう高校生 で、白黒のテ
レビが普及していました。その後の柏戸、大鵬の柏鵬時代は、私の大学時代でし
た。そして、柏戸は私より1歳年上、大鵬は4歳年下でし た。相撲以外では、
私と実質1歳しか違わない美空ひばりは、松濤時代もうデビュー、活躍していま
した。石原裕次郎は5歳ほど年上でした。御両名と も52歳で亡くなりまし
た。今ではユーチューブのお陰で、当時の映像を自由自在に見られます。
伊東宏
2013年9月23日月曜日
滝沢先生
私達の時、都立高校に入るアチーブメントテストに英語はありませんでした。それで松濤でも英語の先生は教えにくかったと思います。私は松濤の3年 間を通じて滝沢先生に教わりました。教科書は「ジャック アンド べティ」でした。そして、各学年の終わりには、各巻の終わりのレッスンをやり残 して、次の年には新しい本に進んだと思います。滝沢先生は「高校に入ったら英語が一番大事になるから、しっかり勉強しなさい」とおっしゃいまし た。
高校に入って面食らったのは、一年生のとき、戦前文理大で指導したハロルドパーマー先生の弟子が、パーマー流のオーラルメソッドで教えたことで す。これは私には効果がなく、恐怖以外の何者でもありませんでした。しかし2年になると文法訳読式になり、私はホッとしました。当時は理工ブーム で、何が何でもどこかの工学部に入ろうと必死で、英語は一年の最初の教材から勉強し直しました。
次にオーラルメソッドに出くわしたのは、慶応英文科の大学院の時、選択で国際センターの「日本語教授法」を履修した時です。そこでは戦時中、日本 占領下の日本語教育の、パーマー、長沼直兄の伝統が固守されていて、オーラルメソッド一辺倒でした。豪州でこれで日本語をならったシーク族のイン ド人などに会いました。しかし十年後、国際センターを訪れると、この方針は放棄されていました。
英語教授法にも幾多の変遷がありました。私が教えた中学、高校では大金をかけてランゲージラボをつくりましたが、10年後には殆ど廃止され、普通 の教室になっていました。
日本では今でも、「小学生英語」など、英語教育問題が未解決のまま論議されているようです。
伊東(望月)宏
高校に入って面食らったのは、一年生のとき、戦前文理大で指導したハロルドパーマー先生の弟子が、パーマー流のオーラルメソッドで教えたことで す。これは私には効果がなく、恐怖以外の何者でもありませんでした。しかし2年になると文法訳読式になり、私はホッとしました。当時は理工ブーム で、何が何でもどこかの工学部に入ろうと必死で、英語は一年の最初の教材から勉強し直しました。
次にオーラルメソッドに出くわしたのは、慶応英文科の大学院の時、選択で国際センターの「日本語教授法」を履修した時です。そこでは戦時中、日本 占領下の日本語教育の、パーマー、長沼直兄の伝統が固守されていて、オーラルメソッド一辺倒でした。豪州でこれで日本語をならったシーク族のイン ド人などに会いました。しかし十年後、国際センターを訪れると、この方針は放棄されていました。
英語教授法にも幾多の変遷がありました。私が教えた中学、高校では大金をかけてランゲージラボをつくりましたが、10年後には殆ど廃止され、普通 の教室になっていました。
日本では今でも、「小学生英語」など、英語教育問題が未解決のまま論議されているようです。
伊東(望月)宏
2013年9月21日土曜日
伊東宏 さんが投稿「伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました」にコメントを書き込みました。
伊東宏 さんが投稿「伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました」にコメントを書き込みました。
私は早稲田の応用化学を落ちて数学科に回され、叔母の勧めで慶応で英文学を専攻しました。その結果、日本では英語の教師、そして豪州で日本語教師をすることになりました。語学の才能があるわけでは全くなく、「豪州に住んだら英語が話せる様になる」という、「エエ格好シイ」の迷信から、誰も応募しなかった職に飛びついたわけです。慶応の大学院の先生や、高校や一時勤めた旅行社の同僚の話から、「英語国に住んだら英語が出来るようになる」というのはどうもウソくさいとは感じていました。でも「豪州に2〜3年住んで英語が流暢になったら、日本に帰って来て、『見事な技で』皆の鼻を開かせてやろう」という魂胆で行ったものですから、一生ここに住まなくてはならないハメになってしまいました。
50年前を振り返ってみて思い出すのは、国立駅のそばで塾を経営していた外語大中退の人など、日本を一歩も出ていないのに、ここに40年も住んだ私の100倍も英語が出来る人が当時私の知っている限りでも、大勢いました。
伊東(望月)宏
投稿者: 伊東宏 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月20日 18:01
私は早稲田の応用化学を落ちて数学科に回され、叔母の勧めで慶応で英文学を専攻しました。その結果、日本では英語の教師、そして豪州で日本語教師をすることになりました。語学の才能があるわけでは全くなく、「豪州に住んだら英語が話せる様になる」という、「エエ格好シイ」の迷信から、誰も応募しなかった職に飛びついたわけです。慶応の大学院の先生や、高校や一時勤めた旅行社の同僚の話から、「英語国に住んだら英語が出来るようになる」というのはどうもウソくさいとは感じていました。でも「豪州に2〜3年住んで英語が流暢になったら、日本に帰って来て、『見事な技で』皆の鼻を開かせてやろう」という魂胆で行ったものですから、一生ここに住まなくてはならないハメになってしまいました。
50年前を振り返ってみて思い出すのは、国立駅のそばで塾を経営していた外語大中退の人など、日本を一歩も出ていないのに、ここに40年も住んだ私の100倍も英語が出来る人が当時私の知っている限りでも、大勢いました。
伊東(望月)宏
投稿者: 伊東宏 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月20日 18:01
2013年9月19日木曜日
伊東(望月)宏さんの投稿「言語感覚」に、匿名氏からコメントがありました
匿名 さんが投稿「言語感覚」にコメントを書き込みました。
What's up, I check your blog like every week. Your writing style is witty,
keep up the good work!
my web-site; garden clearances
投稿者: 匿名 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月19日 7:14
What's up, I check your blog like every week. Your writing style is witty,
keep up the good work!
my web-site; garden clearances
投稿者: 匿名 、ブログ名: 松濤4(自由投稿欄)、日付: 2013年9月19日 7:14
2013年1月17日木曜日
言語感覚
こないだ久しぶりに投稿いたしました伊東(望月)です。
最近は齢をとり、やたらと昔の事を考えます。私は都立高校に進学しましたが、結局は父親や 親戚の多くが行った慶応に進みました。松濤中学から慶応高校に進学した人には、松濤中学の近くにお家があった、楠見君がいたと思います。そしてその頃、母親や叔母から、東京の下町言葉の影響を受けた「慶応言葉」について聞かされました。それは「それを聞いてやっこさん、エレえ喜んで、ノコ ノコやって来やがんのサ」などというものでした。この東京弁の特色を、ずっと以前主題にした、「エリーゼのために」という投稿をしました。
ところで、私の友達の豪州人で、日本が好きで日本語を勉強し、観光で日本にもよく行く人がいますが、彼は鎌倉にも行き、長谷の大仏も見ています。そして、「自分の息子「デーヴィッド」は大仏だ」と言いました。これを聞いて私は、東京の下町言葉と豪州の英語は、この点で反対の方向性があると思いました。即ち東京弁ではアイ>エー、豪州弁ではエー>アイだと言うことです。ちなみに30年ほど前、ここに日本から樫本先生という英語の先生が一 年間、交換教師で日本語を教えにきましたが、この豪州人の友達は、「樫本はノートルダムのせむし男だ」と言いました。
伊東(望月)宏
最近は齢をとり、やたらと昔の事を考えます。私は都立高校に進学しましたが、結局は父親や 親戚の多くが行った慶応に進みました。松濤中学から慶応高校に進学した人には、松濤中学の近くにお家があった、楠見君がいたと思います。そしてその頃、母親や叔母から、東京の下町言葉の影響を受けた「慶応言葉」について聞かされました。それは「それを聞いてやっこさん、エレえ喜んで、ノコ ノコやって来やがんのサ」などというものでした。この東京弁の特色を、ずっと以前主題にした、「エリーゼのために」という投稿をしました。
ところで、私の友達の豪州人で、日本が好きで日本語を勉強し、観光で日本にもよく行く人がいますが、彼は鎌倉にも行き、長谷の大仏も見ています。そして、「自分の息子「デーヴィッド」は大仏だ」と言いました。これを聞いて私は、東京の下町言葉と豪州の英語は、この点で反対の方向性があると思いました。即ち東京弁ではアイ>エー、豪州弁ではエー>アイだと言うことです。ちなみに30年ほど前、ここに日本から樫本先生という英語の先生が一 年間、交換教師で日本語を教えにきましたが、この豪州人の友達は、「樫本はノートルダムのせむし男だ」と言いました。
伊東(望月)宏
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