2020年12月29日火曜日

今だから話そう「人種差別」


・Knuhsの書斎 から転載

── アメリカにおける人種差別


▼人種差別
 アメリカでは、黒人差別の問題が起こると“Black Lives Matter”(BLM)という表現を使って盛んにアピールするようになった。BLMは日本語に翻訳すると「黒人の命も大切だ」という意味になるらしい。何んとも、こなれていない訳ではある。

 「黒人の命“”大切だ」ではなく「黒人の命“”・・・」と表現するところが重要なのだそうである。“”では黒人以外の命は大切ではないのか?! と異論が出てくるから“”にしたのだという。日本語の表現でこんな議論がなされていると知ったらアメリカの人たちは驚くことであろう。

 英語の“Matter”は「問題」とか「重大な事」という意味だから「大切だ」とか「大事だ」と解釈しても構わないが、ここでは単に「○○問題」として固有名詞のままの方が自然で、かつ使い勝手も良くなるのではないかと思う。

 更に言えば、アメリカにおける人種差別では単に白人が黒人を差別するという単純なものばかりではなくもっと重層的である。同じ白人でもいろいろな人種が混じっている国だから白人間でも差別が存在する。人種とは関係なく貧富の差で差別されたり、差別される者が更に弱い者を見つけて差別するという場合もある。もちろん日本人も差別の対象となっている。

 つまりアメリカにおける人種差別では、すべての階層に渡って何らかの差別が存在している。それらは必ずしも命に係わるものばかりではなく、いじめや嫌がらせ、無実の罪に陥れるといったものまで様々なものが含まれている。そういうものを無視して“Black Lives Matter”と言って黒人への差別だけを取り上げるのはいかがなものかとも思う。したがって日本で言及するときは“黒人”も“命”も省いて単に「人種差別問題」と表現すべきではないかと思うのである。

 私が仕事でアメリカに長期滞在していた頃の体験では、差別の程度は今とたいして変らないように思う(差別に関する私の当時の感度が鈍かったのかもしれないが)。しかしトランプ大統領以降の、あのあからさまな差別的発言や差別的政策には正直、驚かされている。

 たとえば、警官による黒人への差別的な扱いは昔からあった。最近急に数が増えた訳ではない。今まで公になっていなかったものが暴露されるようになっただけのことである。これには日本人のある発明が寄与している。

 携帯電話の技術的進歩の過程でカメラ機能が付加されたのは日本人技術者の努力によるものである。スマホにカメラ機能が常備されるようになった結果、身近に起った出来事の多くは、たまたまその場に居合わせた人のカメラで撮影される機会が増えた。ちょっとした暴行事件でも簡単に映像データとして残されるようになった。

 それまで目撃証言と言えば、警察関係者からのものばかりだったから、事実が隠蔽されることが多かった。それがスマホのお陰で証拠が明るみに出るようになったのである。リアルな映像情報の存在は、想像以上に強力な決め手となることを我々は学んだのである。

▼私の体験したこと
 アメリカ生活が長くなりいろいろな体験を重ねる内に、気が付くと自分も同じように人を人種で区別し常に警戒的な目で見ていることに気が付いた。
 以下に、私の体験のいくつかを紹介してみよう。

(1)事例1
 私が滞在していた当時のソフトウェア会社や研究所などでは、技術者同士で議論をしていても黒人の技術者が席を外すと、残った白人がその黒人の悪口を言うという場面によく出くわしたものである。私はそれを聞いていて人種差別の一端に触れたような気がしていやな気持になったものだ。そして、もう少し仲良く出来ないものかと思ったりした。

 後から考えると、当時のアメリカのソフトウェア会社や研究所内の職場では滅多に黒人技術者の姿を見掛けることはなかったような気がする。黒人の女性事務員はよく見かけたが。これも人種差別の結果であることに気が付いたのは、その後十数年経ってからである。

(2)事例2
 研究所で仕事をしていた当時のことである。日本人技術者3人で夜遅く帰ろうとして駐車場に出て、自分の車の置いてある場所へ向かって歩いていた。夜も遅いので車の数も少なくなっていたので遠くから自分の車が見える。よく見ると車のボディーが何か変にキラキラと光っているようだ。不思議に思って近づくとリアウインドウのガラスがすべて粉々に打ち砕かれてなくなっているではないか。ガラスの破片がボディーの上や車内の後部座席の上一面に散らばっていた。暗くて破片がよく見えないので危険である。後部座席には乗れそうにない状態になっていた。

 昼間、車を駐車させたとき近くで黒人の若者たちがたむろしてこちらを見ていたのを思い出した。「やられた!」証拠はないが彼らの仕業に違いない。

 3人で使っている車なので、全員前の座席に座って私が仲間を順番に自宅まで送って行ったのを覚えている。レンタカー屋で借りた車だから事故保険に入っているので金銭的な被害はないからよいが、悔しい思いだけは残った。

 その他、昼休みに運動を兼ねて街中を歩いていると、遠くから黒人の子供達に石を投げられたこともある。そういうときはいちいち反応せずに無視するに限る。そういうことが度々起こると精神的にかなりタフでないと生きて行けないと思うようになる。そして自然に黒人には警戒心を持つようになっていった。気が付くと自分も差別心をもっていることに気が付いたのである。

 それまでは、夜帰宅してから家の近所をジョギングしたりしていたが、これは極めて危険な行為であることをアメリカの友人に教えられた。以後、夜の運動はしないことにした。

(3)事例3
 アメリカで生活するには常に車が必要である。長期間の滞在予定が決まっていれば車はリースで借りるのが費用の点で望ましい。しかし私のように技術者として派遣された場合は、滞在期間がはっきり決まっていないことが多い。プロジェクトの成否によって決まるからである。プロジェクトが突然打ち切られる場合もあるから長期間借りるのはかなりリスキーである。

 そこで私は、普通は1ヶ月単位でレンタカーを契約することにしていた(これは会社の指示でもあった)。毎月契約の切れる直前にレンタカー屋へ行って再契約していたのだ。車好きの人なら、いろいろな種類のアメ車に乗りたいと思うだろう。毎月異なる車を借りればよいのだからこんな贅沢な借り方はない。しかし私は仕事の方を優先しなければならない立場だから、安全運転のためには使い慣れた同じ車を使い続ける道を選んだのである。

 あるとき再契約に行くと、レンタカー屋の女性の係員が出て来て私の乗ってきた車をチェックすると言いだした。今までそんなことを要求されたことは一度もない。女性係員は外に出て来て私の乗ってきた車体の周りを一周して観察し始めた。そして「ここにキズがある」とか「ここにも擦った跡がある」と難癖を付け始めたのである。「それは借りたときからあった瑕だ」と主張しても一向に聞き入れようとしない。書類に細かく記入している。明らかに嫌がらせである。東洋人だと差別的に扱われることを私はしばしば経験していた。

 私は黙って見ていることにした。たとえ瑕が付いていても保険でカバーされるから少しも困らないと分かっていたからである。

 書類への記入が終わったところで、彼女は私の契約書を見てある項目を読んで慌てることになった。そこには“Full Coverage”(事故を起こしても全面的に保障される契約)という項目があり、その頭にチェック印が付いているのに気が付いたからである。

 彼女が今作ったばかりの書類をどう扱うか、私は黙って見ていることにした。作った書類が無駄になったときはその人の見ている前で破棄するのがルールである。彼女は悔しそうにその紙を破り捨てたのであった。私は「ザマ~みろ」と言いたかったがグッと堪えた。実は、そんな上品(?)な言葉の英語表現を知らなかったので、何も言えなかったのである。

 後で考えたのだが、あの時、日本語でよいから「ざまあみろ」と叫んでいたら、かなりの鬱憤を晴らすことができたのにと思った。私は、悔しいときは日本語で叫んで憂さを晴らすとよいことを、このとき学んだのであった。

▼企業人の注意すべきこと
 本稿ではアメリカにおける「人種差別」を取りあげた。この程度のことならなぜ今まで取りあげなかったのかと疑問に思う人がいるかもしれない。

 アメリカでの人種差別については、これまで私はエッセイの類いでは触れたことがない。それは企業人として触れてはならないテーマだったからである。その理由は、東芝のようなワールドワイドに事業を展開している会社の一員である以上は、他国の恥部に触れるようなことを書いてはいけないことになっていた。たとえ書く場所が社内報のような内輪のものであっても、現地法人に勤めているその国の人たちもまた会社の一員なのである。彼らが読んで気を悪くする可能性のある記事の取り扱いに関しては慎重でなければならない。

 そのために、社外に文書を発表する際は必ず会社の許可を得てから発表する規則になっている。
 最近のように、ネット上でSNS等に気楽に投稿する人が多い時代では、余計なことを“つぶやいて”何かと物議を醸して世間を騒がせている人が多いのは周知のとおりである。企業に属する方々は、社外に公開する文書の管理について増々扱い難くなる時代に生きていることを自覚し、油断なさらぬよう注意されたい。

2020年11月29日日曜日

今だから話そう「グリーンベレー」


・Knuhsの書斎 から転載

── もはや時効となったお話(2)


はじめに (長文です)
 長年に渡ってエッセイを書き連ねてきたが、テーマによってはどうしても書くのをためらうものがある。もちろん、個人的なことで失敗した話とか勘違いで恥をかいたような話は書きたくないのは確かだが、その類いの話はいずれ時間が経てば自ら人に話せるようになる。そう思って私は、これまでの人生で苦労したことや悩んだことなどをできるだけエッセイに書くことで身軽になって生きようと努力してきた。

 一方、仕事に関することだと機密事項もあるから、会社あるいは特定の個人に迷惑が掛かる恐れもあるので、どうしてもエッセイのテーマとして取りあげるのを控えてきた。その結果、仕事に絡んで抱え込んだ悩みの持って行き場がない。どうしたらよいものか。

 これまでは、親しい友人たちとの懇談の場で思い出話としてさり気なく話してしまえば身軽になれると思っていた。しかしそういう機会は案に相異してなかなか訪れないもので、いつまでも重荷を背負い続けているのが現状である。結局は“墓場まで持って行く”ことになると最近は思うようになっていた。

 ところが、コロナ禍以後私の考えが少しずつ変わってきた。もはや時効として公開しても構わないのではないか、と。「今だから話そう」シリーズにしたら結構面白いかもしれない(*1)
【注】(*1)シリーズにする程テーマが沢山あるわけではない。しかし以前紹介した“とっておきの話「コワイ先生」”は、実はその種のテーマに属していたものなのである。そこで、後から“今だから話そう「コワイ先生」”とタイトルを変更することにした。
 ここでは、今から45年程前、メインフレームのソフトウェア開発を担当していた頃の話を紹介したいと思う。

 PL/Iというプログラム言語の処理系(コンパイラ)を開発していたときに経験した話が中心となるので業務と密接な関係がある。そのとき経験したことの多くは、実は今まで個々には紹介してきた(*2)ものである。私は、日常生活で起こる様々な出来事になぞらえて、コンピュータの技術(特にソフトウェア技術)を分かり易く紹介するという方法を編み出し「ソフトウェアと〇〇」というタイトルの一連のエッセイに仕立て上げてきた。しかしその背後にあった私の関わってきた仕事については明確には触れないできた。今回は、それに言及しなければうまく説明できない話なのである。関係者に迷惑を掛けないよう心して書くことにする。
【注】(*2)今まで紹介した技術とエッセイのタイトル一覧は、最後の▼参考資料を見てください。
 ブログ上でのJavascriptの表現に制限があるので、以下はホームページ上に移動します。
                つづきは…[こちら]へどうぞ。


2020年10月22日木曜日

歩数計




── 時間から歩数へ乗り換えました


 最近、歩数計を購入した。これまでにも歩数計は何度か買ったことがあるが、スポーツのときだけ使っていると直ぐ壊れてしまう。それに懲りて、ここ十数年は全く使っていなかった。

 若い頃はジョギングやサイクリングが主だったのでスポーツ時に使う計測用機器は腕時計型のもので実時間とストップウオッチ機能 それに心拍数を測る機能さえあれば十分だった。しかし齢を重ねる内にウオーキングが主流になると、今度は歩数計を使うようになった。歩数計を腰の辺りに装着したり、ポケットの中に入れたりして計測する。

 これが、何故かすぐ機能しなくなる。電池切れになったと思い電池交換をするが動かない。仕方なく、これは壊れたに違いないと判断することになる。小さい電子機器だと一度壊れると自分で修理するのは難しい。それほど高価な物ではないので修理に出すこともなくそのままにしてしまう。そして、またしばらくすると別の製品を買ってきて使うようになるという繰り返しだった。

 その内に馬鹿馬鹿しくなってきて、料理のときに使うキッチンタイマーさえあれば充分だと思うようになった。キッチンタイマーをどのように使うかというと、1時間のウオーキングをしたかったらあらかじめ半分の時間30分をタイマーに設定してから歩き始める。30分経ったところで警告音が鳴るから、そこで回れ右して同じコースを帰ってくればよい。その日の運動の記録としては、30分の2倍で1時間と記録する。一般道路を歩いていれば信号のある交差点に出会うから信号待ちしていれば時間が掛かり行きと帰りでは同じ時間にはならない。坂道があるかどうかでも違ってくる。しかしその程度の雑な測定で十分だったのである。

 最近、メールやSNSを通じて友人たちが「今日は3,000歩 歩いた」などと報告してくるようになった。それを読みながら私は「60分歩いた」と時間で表現するよりも歩数で表現した方が遥かに現実的で運動量の記録として残すに相応しいと気が付いたのである。

 しかし私には3,000歩がどの位の距離でどの位の時間が掛かったかは分からない。そこで自分も歩数計の利用者になれば、人によって歩幅に多少の差があってもある程度は推測が付くはずだと考えた。そうすれば友人たちの運動量と比較することができるではないか。そう考えて、私は懲りもせずにまたまた歩数計が欲しくなってしまったのである。

 今度は腕時計型のものにしてみたいと思った。色鮮やかな表示のスマートウオッチが流行っている時代だから、私も利用してみたくなったのである。早速、ウェッブ上で捜してみた。スポーツ用の多機能ウオッチが沢山あるが、どれも機能が多すぎるようだ(*1)。私には不要なものばかりである。
【注】(*1)体温、心電図、AI診断、心拍数、血圧、血中酸素、距離、速度、消費カロリー等。
 恐らく電池の持ちも短いのだろうと心配になったが、そういう点は説明には何も書いてない。スマホの様に毎日充電する必要があるとすればかなり面倒である。あれこれと考えあぐねている内にウオッチ型の採用には結構費用が高くつくことが分かってきた。これで直ぐ壊れてしまったらどうしようもない。さぞ後悔することであろう。

 そんなある日、新聞の新製品を紹介する欄を見ていて「懐中時計型歩数計 新発売」という記事を見つけたのである。時計機能と歩数計のみ! これがいい!! シンプルな構成が気に入ってしまった。きっとエコ製品であるに違いない。

 新製品というものは、予期せぬデザインミスがあるからその改良版が出てから買うのが一番安全な賢い買い方なのだが、私も歳だからそれを待っている余裕はない。企業発表の翌日のことだから、普段私が利用している通販サイトにはまだ登録されていないようである。仕方なく製造会社のホームページを捜して、そこから注文することにした。

 こうして手に入れたのが、以下に示すものである。

  
 カバーを開いたところ    カバーを閉じたところ 

 毎日のウオーキングでは、多摩川の河川敷沿いのサイクリングロードを歩くのでコースが決まっている。したがって歩数計は毎日ほぼ同じ歩数を記録(*2)する。しかしウオーキングのときは出来るだけ歩幅を拡げ大股で歩くことが推奨されているから、私の場合は大股で調子良く歩けた日には歩数が必ず少なくなる。ほとんどの利用者は歩数が多いと喜ぶようだが、へそ曲がりの私めは歩数が少ないと喜んでいる。
【注】(*2)その日の運動の記録として私は、歩数計に表示されたほぼ同じ値の歩数を毎回飽きもせずに記録している。
 毎日の運動のときだけでなく外出時にもいつも歩数計をポケットに入れて利用している。長年、外出するときは腕時計を使っていたが、時間に追われることもなくなり腕時計のバンドが鬱陶しくなってきていたので、これからは歩数計の機能だけでなく、懐中時計として時間管理にも利用することにしよう。文字も大きいので、メガネなしでも十分に読み取れるので大変助かっている。貴方(女)も試してみませんか?

2020年9月15日火曜日

とっておきの話「コワイ先生」


・Knuhsの書斎 から転載

── もはや時効となったお話


▼担任の先生
 小学校時代の話である。当時通っていた学校には校内一怖いと言われている教師がいた(M先生としておこう)。多くの生徒たちが「あの先生、コワイよね」と話していたのを覚えている。本当かどうか疑わしい武勇伝を話す子もいた。私が五年生になるときにたまたまその怖い(コワイ)と言われているM先生が私の担任になってしまったのである。それまでは、ずっと女性教師が担任だったので男性教師は初めてである。増々怖さがつのってきていた。

 最初の授業の日、まだ全員の席次も決まっていないので皆教室の後ろの方にたむろして立ったままでM先生がくるのを待っていた。まもなくM先生が教室に入ってくると我々の方を見て突然叫んだのである。「帽子を被っているのは誰だ!」

 それは明らかに私のことであった。当時は学生帽などなかったので私は野球帽か何かを被っていたのだと思う。教壇の前に出てくるよう命ぜられた。まずいことになったと思ったが隠れている訳にはいかないので前に出て行った。私以外にも帽子を被っていた者がいて、結局3人が叱られることになった。

 私はぶん殴られるかもしれないと覚悟していたが、意外にもやさしい声で「帽子はどこで被る物なのかな?」と聞かれたので「外です」と答えた。叱られる場合は相手の顔に視線を向けて話を聞くよう教育されていたのだが、M先生はウルフの様な鋭い眼光の持ち主だったので私は正視するのが怖くて、何となく先生の口元辺りに視線をずらしてお説教を聞いていた。その後はやさしい口調で諭されただけであったが、最初の怒りはどこへ行ってしまったのか、口元の形はどう考えても微笑んでいるようにしか見えない。今は叱ることを楽しんでいるように見える。不思議な先生だなぁと思ったものである。
 どうやら、最初にガツンとやって全員の気持ちを引き締めておこうという作戦だったようだ。私は絶好の獲物にされてしまったのである。

 以後、M先生を良く観察していてどんな場合に叱るのかが分かってくると段々と叱られないで済むようになってきた。ずっと女性教師だったので緊張感が足りなかったのだ。私はこのとき、男社会の中で生きていく上での厳しさ(?)の一端に初めて触れたのかもしれない。そして、もっと強い精神力を持つ必要があると学んだのであった(おい、本当かよ?)。

 先生は運動ができるし、絵を描いたり粘土で焼き物を造ったりするのが得意で何でも器用にこなす素晴らしい先生であることが分かってきた。以後、卒業までこのM先生のお世話になった訳である。

▼お米を貸して
 ときどき家庭訪問ということでM先生が予告もなく家にやってくることがあった。家の中に入る訳ではなく庭先に突然姿を現し縁側に座って母親と話し込んでいたりする。私はM先生の姿を見つけると素早く姿を消すようにしていたので、何を話していたのかは分からない。

 ある秋の夜のことであった。家族全員が寝てしまった深夜になって庭に面した雨戸をホトホトと叩く音がする。内に向かって呼びかけている声も聞こえてくる。母親が雨戸を少し開いて何か話している。月明かりの中で母親と何か押し問答をしているようであった。どうやら相手はM先生の声のようである。「お米を貸して欲しい」と言っている。

 後で母親から詳しく聞いたところでは、先生はどうやら麻雀に夢中になって最終電車に乗り遅れ帰宅できなくなったらしい。当時は食糧事情が悪く米が不足していたので、どこかに泊りたければ必ず米を持参する習慣になっていた。そこで、M先生は私の家で米を借りて学校の宿直室にでも泊めてもらおうと考えたのだろう。家には米はあったと思うが、母親はM先生をそのまま返す訳にはいかないと考え、先生を家に泊めてあげようと押し問答をしていたらしい。
 母親が戻ってきて事の成り行きを説明してくれた。M先生は客間で寝てもらうことにしたとのことで、一同安心して眠りに着いたのであった。

 翌朝眼が覚めると、M先生が家で寝ていることを思い出した。同時に私は重大なことに気が付いたのである。このままでは、先生と一緒に朝食を摂ることになるかもしれない。朝食を摂ったらすぐ学校に行く時間になるから、当然先生と一緒に家を出て登校することになる。途中では先生と何を話せば良いのか。普段先生とは一対一で話をしたことなどない。物凄く気づまりである。学校まではかなりの距離があるから、その間どうしたらよいのか。もし級友に出会ったらどうしよう。先生と一緒に登校してくる生徒などどこにもいないから、当然うわさが流れて悪友たちにからかわれることになるに違いない。不安の種が後から後から頭に浮かんでくる。これは困ったことになった。

 起床してみると先生はまだ客間で寝ているとのことであった。ホッとした私は先生が起きて来る前に食事を済ませてさっさと学校へ行ってしまおうと考えた。幸いにも、出かける時間になっても先生はやはり起きてはこなかった。豪傑だなぁと私は思ったものである。

 私は一人で家を出て学校へ向かったが、何も慌てることはない。先生は遅刻するに決まっているから、ゆっくりと登校すればよいのだと自分に言い聞かせた。学校に着き教室で皆と一緒にいつものように先生がくるのを待つ。先生はなかなか現れない。先生が時間通りに現れないなどということは今までなかったので皆は不審な顔をしていたが、すべての事情を知っている私は知らん顔をして何も言わないことにした。母親から口止めされた訳ではない。自分の判断でここは黙っているに限ると腹を決めたのである。皆と一緒に待ち続けることにした。

 先生は大分時間が経ってから教室に悠々と現れた。そして何事もなかったかのように普段通りに授業を始めたのである。私以外の生徒たちも何事もなくいつも通りの授業風景に戻っていった。この出来事を、今では誰も憶えていないと思う。しかし大きな秘密を抱えてしまった私だけは、容易には普段の状態に戻れなかったのである。

▼便所の落書き
 帰宅後、更に驚くことがあった。便所に入ると便所の壁に大きな落書きがしてあったのである。私は先生が書いたものだとすぐ分かったが、多分母親は信じないであろうとも考えた。こういうことは男の子がするものであって、年齢的にも私以外に犯人は考えられないからである。そう考えて、私は大いにうろたえることになった。

 しかし落書きをよく見ると、これは私には到底描けないことが明白となった。壁には鉛筆で直径約50センチ程のかなり大きな円(それも美しい真円だった)が描かれていて、その中に目鼻口が書き加えてある。大人にしか描けないような手慣れた作品(?)だったからである。私が描いたと思われる可能性はほとんどないことが分かった。私は直ぐに母親に報せて自分の無実を確実なものとした。母親はそれを見て唖然としていたが、それ以上何も言わなかった。先生は一体何を考えてこんな落書きをしたのだろう。変な先生だ。

 先生のこの落書きは、しばらくの間はそのままになっていたが、いつの頃か母親がきれいに消し去ってしまった。私は少し残念な思いが残ったが、何も言えなかった。現在のスマホ文化のもとで育っ者だったら、早速カメラで撮影し記録に残していたことだろう。

▼酔っぱらいの豪傑先生?
 大人になってから思い返してみると、先生は酔っぱらっていたのだろうと思う。大体、麻雀に夢中になって遅くなり帰宅できなくなったというのからしてウソくさい。お米を貸して欲しいと言うのは本心ではなく、泊めてもらう積りで家に来たのだろう。本当のところは、どこかで酔いつぶれてしまい終電車に乗り遅れたのではないかと思う。今では、実に豪快な先生だと思うようになっていた。

 私は、先生が引き起こしたこの破天荒な出来事の詳細をこれまで誰にも話したことがない。当時の同級生に対しては申し訳ない気持ちだけは残っている。
 もし同級生に話すにしても、それにふさわしい懇談の場で話すのなら可能だが、文書にして公開するような話題ではないと思ったからである。

 しかしコロナ禍以後、私の考えは少しずつ変わってきた。例年開かれていた同窓会、同期会、クラス会などの行事が軒並み無期延期となってしまったのだ。今の情勢では再び開けるようになるとは思えない。私の年齢から考えて、もう昔の仲間に会って話す機会が再び訪れることはないかもしれない。そう考えて小学校の同期生のために作ったブログ(http://kinutas27.blogspot.com/)上にこの文章を掲載することにした。もはや時効であるから構わないことにしよう。

 同期会の再開は、そのうち政府が“Go To 同期会”キャンペーンでも始めてくれることだろう。それを待つことにしようではないか。

●言葉遊び

▼パンデミック「集会禁止、どうしよう」

同窓会どうそうかい、どうしょぅかぃ?

同期会どうきかいどうスル気かぃ? 

クラス会くらすかいおくらすかぃ? 



2020年8月29日土曜日

故障


・Knuhsの書斎 から転載

── 壊れたものの処分の仕方


 最近、私は自分の使っている電子機器が次々と壊れてしまうという由々しき事態に遭遇している。最初に不具合が生じたのはパソコンである。次に長年愛用してきたオーディオシステムが壊れ、最後が(これが最後であって欲しい)書斎机の上に置いて使っていた小型のテレビである。

 それぞれに応急処置をしたり あっさりと使用を諦めたり、あるいは別の製品に買い替えたりとその都度最善と思われる対応をしてきた積りでいる。しかしあるときこれらの出来事をまとめて振り返ってみて、何故こんなに自分が大切にしているものが次々と壊れ続けるのかと、自分の不運に想いを巡らすことになった。

 電気製品の故障とは直接の関係はないが、最近自分の身体を構成している“部品”の方もいくつか故障してしまい難儀していたところだったのだ。それまでは薬を飲んだりして対症療法で乗りきってきたのだが、今回は病院へ“修理”に出したところ、即入院して手術を受けねばならなかった。幸い部品の交換はせずに手術という名の修理をして貰えたが、ここで悟ったのはいつまでも平穏な日々が続く訳ではない。何時かは寿命が尽きるときが来るという事実である。そんなことは先刻承知している積りだったが、本当のところは良く理解していなかったのかもしれない。すべてのモノには寿命があることをしっかりと自覚し、悔いを残さないように行動しなければならない年齢になってしまったのである。

 長い人生の中で自分が選択した対処法の数々は、果たしてそれで良かったのだろうか。これからは、病気になったときの身の処し方も含めてよくよく考えてから行動するようにしよう。
 モノの場合でも、今までは使えなくなったら取りあえず何処かに仕舞い込んでおき、何時かまた利用するときが来るかもしれないと安易に構えているところがあった(*1)
【注】(*1)昔は機器が壊れたらそっくりそのまま残しておいて、他の機器の修理の際に必要となる部品の宝庫として活用されてきた。特定のサイズのネジが必要になったときは捜せばすぐ見つかったものである。しかし最近の電子機器の修理ではそういう訳にはいかなくなっている。
 使用しないのなら単に放置しておくのではなく廃棄するなり、他に利用法がないか良く検討するようにしたいものだ。最近では不要になったモノでもオークションの場で売られている時代である。モノの処分の仕方も多様になってきているから身の処し方も十分に考慮する必要がありそうである。

 今回の電気製品の故障に対し、私がどう対処したかをここで振り返って見よう。

▼パソコンの場合
 故障したのは6年前に購入したノートパソコンである。数年前からキー入力時にトラブルが多発するようになった。「」,「」,「」,「」などのキーを叩いてもうまく入力されないことが屡々起こる。これらのキーはキーボードの右上周辺にあるから、私のキーの打ち方に癖があるのであろう。キー内部の接触が悪いのか文字入力が度々空振りとなる。


Dynabook T554/76LG

 昔のコンピュータのキータッチはもっと微妙な感触が得られたものだが、最近のキーボードはメンブレンキーボードと呼ばれるもので、キーボードの面を薄くすることだけに注力しているからキータッチへの配慮がまるでないようだ。そのためか、少し乱暴にキーを叩き過ぎたのかもしれない。

 最初に修理に出すことを考えた。修理に出すと戻ってくるまではしばらく使えなくなるから代替マシンが必要になる。私は、コンピュータ本体が壊れたときに備えて大切なファイル類を失うことの無いようにバックアップマシンを用意しているが、手持ちのマシンは旧OSのものばかりだったので最近バックアップ専用に最新OSを搭載した機種を購入したばかりである。処理速度の遅いマシンなので常時使うのには向いていない。しかし非常事態であるからこれを一時的に代替マシンとして用いることにした。

 しかし、どうしても修理に出す気が起こらない。最近の電子機器の修理は、特にパソコンの場合は、本体を薄くしてコンパクトに仕上げるので、故障個所を見つけても修理するのは容易ではない。あやしい部分の基盤全体をそっくり取り替えてテストし、うまくいけばそれで修理完了としてしまうことが多い。当然修理費用は高くなる。新しいマシンに買い替えた方が安く済むことさえある。

 実は、新しいマシンに買い替えたいという気持ちもあったので、機種選びで迷っていたのである。この間、メールの文章を入力している際に「たいへん」と入力したかったのに空振りで「たいへん」が「たいん」になってしまい、あろうことか“多淫”と変換されてしまうことが頻発した。これでは困る!! 何とかしなければ。

 そこで、キーボードだけ買えばいいじゃないかと思い付いた。早速、ブルートゥース(Bluetooth)(*2)のキーボードを購入することにした。これが思いのほか使い易く、一つのキーボードでパソコン、スマートフォン、タブレットなどに入力できるようになったので大変便利である。当分このやり方でゆくことにした。
【注】(*2)Bluetoothとは、近距離無線通信の規格のひとつでパソコンやスマートフォン等の情報機器やオーディオ機器をお互いに無線で接続し、機器間でデータをやり取りできるようにする。

ELECOM製 Bluetooth 薄型キーボード
(パンタグラフ方式)

▼オーディオシステムの場合
 20年くらい使い続けているケンウッド社製のミニコンポである。以前はリビングルームに置いてオーディオシステムとして使われてきた。しかし今は半分引退して私の寝室に置いてある。主に朝ベッドの中で聞くラジオとして使われてきた。


ケンウッド社製のミニコンポ
SH-3MD Avino

 年を取ると早朝あるいは深夜に目覚めてしまうことが多いから退屈しのぎに音楽とか深夜放送とかを聴くのに用いている。長く使ってきたので本体のコンソールのライトが不調で時々消えてしまうのだ。その内にライトが消えている時間の方が長くなり、偶にご機嫌が良いとライトが付くという状態になってしまった。ライトが付かないとシステムが現在どういう状態なのかがまるで分からない。こうなるとリモコンが頼りで、リモコンがないと何もできなくなる。

 更に悪いことに、夜中にリモコンを使っていて暗がりで屡々取り落としたりしていたためか、突然リモコンが使えなくなってしまった。電池交換しても動作しない。とうとうリモコンも壊れてしまった。


ミニコンポ用のリモコン

 本体のスイッチ類を直接操作することは滅多になかったので操作法に不慣れである。もはや昼間でも手探りで使っているようなものだ。この期に及んでようやく私もミニコンポの寿命が尽きたことを理解したのであった。

 毎朝のラジオが聴けなくなるのは困るからとにかくラジオを買うことにした。CD付ラジオを買ったのだが、オーディオシステムの音声と比べると当然ながら音がよくない。とりあえずこれで我慢することにしよう。


(新しいラジオ)
東芝ハイレゾ対応SD/USB/CDラジオ
TY-AH1 Aurex [ワイドFM]

▼テレビの場合
 ポータブルのDVD内蔵地上波テレビである。約10年使ったが寿命が尽きるのは少し早い気がする。書斎のデスクの上に置いてパソコンを使いながら見るというスタイルで使ってきた。それが、突然画面の色が白っぽく変化して消えてしまうようになった。電源スイッチを入れた当座は良いのだが時間の経過とともに次第に画面の色が白くなり見えなくなる。色調の変化はテレビ本体の問題であろうと考えて諦めることにした。


東芝 SD-P12DTK DVDプレーヤー内蔵
地上波デジタルテレビ

 しかし内蔵DVDの方は正常に動作するので、まだまだ利用価値があるかどうか検討することにした。代わりのテレビを早速発注し、19型の地上波と衛星放送が見られる機種を選んだ。

▼後始末
 こうして、ここ数ヶ月間で起こった身の回りの電子機器のトラブルはすべて解決したが、それぞれ不要になって残されたモノをどう処分するかの問題が残された。できるだけ無駄にならないようにその後の行き先を考えないと何時までも不要な物が私の手元に残ってしまうからである。

・パソコンの修理は“部品の追加”で
 キーボードの代替品を買ってBluetooth接続で使っているから何も不用品は出ていない。ノートパソコンの画面が小さいのは、老眼の私には不向きだったので大型スクリーン(ProLite XUB2792HSU HDMI iiyama)を追加して2つの画面を使えるようにしたので大変使い易くなった。当分新機種に買い替える必要もなさそうである。


大型ディスプレイと追加のキーボード

・オーディオシステムの修理は“機能分割”で
 ラジオ機能のみ新しいラジオに置き換えた。オーディオシステムはどうするか。当分使わないので、分解してクリーンアップしてみたいのだが、分解する方法が分からないので現在研究中である。

 インターネットで調べていたら同じミニコンポが多数オークションに出されているのを見つけた。うまく動作しないものも売りに出されているのを知った。リモコンが単独で売りに出されているのを発見したのも驚きであった。これを買う手もあるが、一体売主はどういう状況でリモコンだけを売りに出したのか知りたいところである。本体が手元にないとすれば、このリモコンがうまく動作する保証もない。迂闊には手を出せないと思った。

・テレビの修理は“置換”で
 古いテレビは廃棄する積りだったが、内蔵DVDは使えそうである。DVDの再生だけなら使えそうで迷っていた。その後、義息子が修理して使ってくれることになった。何んと(!)、部品の一部が曲がっているのを直したら映るようになったと言うではないか。これで廃棄する必要はなくなった訳である。目出度し! 。

2020年7月8日水曜日

ラジオと私


・Knuhsの書斎 から転載

── ラジオを聞くと頭がよくなる?


▼ラジオの思い出
 私は昔からラジオを聴くのが好きだった。今でも毎日聴いている。
 ラジオとの最初の出会いはいつ頃だったのか正確には思い出せないが、疎開先の長野県蓼科で玉音放送を聴いたときの記憶だけは鮮明に覚えている。当時6歳だった私は、放送の内容もその意味もよく分からないまま近所の人たちと一緒に農家の庭先に整列し、直立不動の姿勢で家の中から聞こえてくるラジオを通しての天皇のお言葉に耳を傾けていた。後で「日本は戦争で負けたらしい」と教えられたのを覚えている。抜けるような青空の下でジリジリと照り付ける強い日差しと暑さだけが記憶に残っている。

 小学生時代の私は、終戦後の苦しい生活の中でラジオを聴くのが最大の楽しみの一つだった。戦時中は「警戒警報」の発令を聴くために各戸には必ずラジオがあったが、終戦後もそのラジオを使い続けていた。古いので故障したり聴き取りにくかったりと厄介な代物だったが、私は耳を押し付けるようにして夢中になって聴いていた。

 有名作家の作品を毎日少しずつ朗読する番組があり、私は久米正雄の作品を毎日欠かさず聴くのを楽しみにしていた。その朗読の最終回の日にたまたまラジオが故障して聞くことができなくなってしまった。そのときの口惜しさを今でも忘れない。後年、久米正雄の作品集から該当する作品を見つけようと試みたが作品のタイトルも内容もすっかり忘れてしまっていて口惜しさが倍増しただけであった。

 中学生時代だったと思うが、授業で鉱石ラジオを作成する時間があった。家で菓子が入っていた四角い小さな缶を見つけてきて、その中に組み立てた鉱石ラジオを入れ蓋をする。そして缶の側面に穴を空けてチューニングする部分を外に出し缶の外から操作ができるようにした。家でテストしたときはうまく聞こえたのだが、学校に持っていって先生に提出した後では何故かまったく聞こえなくなってしまったようだ。学友から「お前の、聞こえないぞ」と言われて口惜しい思いをしたのを覚えている。外見は一見素晴らしい出来栄えに見えたのだが、聞こえないのでは意味がない。大失敗であった。

 高校生時代の私は、自分専用のラジオを手に入れることに夢中になった。兄が読んでいた「ラジオ技術」という雑誌を見てポータブルラジオを自作しようと思い立った。当時、必要な部品を集めてセットにしたものが秋葉原の電気街で売られていたのである。それを買ってきて自分で(いや、兄に助けてもらいながら)組み立てた。自分専用のラジオを持つことができただけでなく、それを屋外に持って出て好きな場所で聞くことができたのが最大の喜びであった。私にとっては画期的な出来事だったのである。

 当時通っていた高校の英語担当のU先生はラジオ番組に投稿するのを趣味としておられた。夜、NHKの放送でクイズ番組を聴いていると突然投稿者として先生の名前が読み上げられ仰天したのを覚えている。
 しかし勉強中にラジオを聴くことはなかった。当時はまだ“ながら族”という表現は存在していなかったのである。

 企業人となってからは、通勤電車の中でどうやって時間(片道約2時間)を有効に使うかということで頭を悩ませることになる。普通は本を読んだり居眠りをしていればよいのだが、読む本がないときもある。ときには気分転換も必要になる。そんなとき、そうだ(!)ラジオがあるじゃないか、と通勤の行き帰りの4時間はラジオを聴くことを思い付いた。しかし残念ながら当時の携帯用小型ラジオはノイズを拾ってしまい音声をうまく聞き取れないのである。鉄路の上を走るのだから電車の中は特に強いノイズだらけでラジオを聴くには最悪の環境だったのである。

 仕方なく私は、家でカセットテープに録音したものを電車内に持ち込んで、コンパクトなテープ再生機で聞くことにした。こうすればノイズなしのクリーンな状態でラジオの音声を楽しめる。オートリバース機能を使えば1~2時間は連続して聞くことができた。このようにして私は通勤時間帯の厳しい環境を楽しい場へと変えることに成功したのである。

 その後、電車内でのノイズを消して聞きやすくした小型携帯ラジオが売り出された。私もそれを利用するようになったが、それでも聴き取りにくいところは完全には解消されていなかった。カセットテープの再生音の質の良さには到底及ばないと思ったものだ。

 仕事から引退した後は、家でラジオ三昧の日々を送っている。一緒に暮らす家族の者たちはほとんどラジオというものに関心がない。リビングルームの食卓周辺にはテレビはあるがラジオは置いてない。孫たちはテレビは見るけれど、それよりもYouTubeの方に夢中になっていることが多いようだ。世代によって主となるメディアは劇的に変わってきているようである。

 一方、私の書斎と寝室にはラジオがそれぞれ置いてある。私は朝ベッドの中で目覚めるとラジオを2時間程聞いてから起床する習慣にしているが、朝食時にも聞きたい番組が沢山あるので小型の携帯用ラジオをポケットに忍ばせてイヤホーンを用いて聴きながら食事をしている。平日の朝は、孫たちが登校するまでの騒がしい時間帯であるから、家族の者たちも私に話しかける余裕もなく丁度良い具合である。ラジオという有用な情報ツールがあるのに若い人たちはまるでそれを知らないようである。残念なことだ。

▼視覚情報優位の社会
 そんなある日、私はラジオで興味深い話を聞くことになる。
 そのときラジオでは「ラジオと脳」というテーマで話題が盛り上がっていた。聞くところによると、ラジオ業界には「ラジオを聞くと頭がよくなる」という通説があるのだそうである。誰が言いだしたのかは定かではないが、恐らく自分たちの業界の発展を期待して無責任(?)に言い始めたものであろう。しかしこの通説が世界で初めて(!)検証されたのだ。そして、耳からの情報が脳を成長させることが分かってきたのだという。

 普段ラジオを全く聴かない大学生と、ある程度聴いている大学生とを対象にして1日2時間以上1か月間ラジオの放送を聴いてもらい、その前後にMRI検査をして比較してみると右脳が2倍以上活性化されていたという。脳の部分でそれまで使われていなかった(寝ていた)部位が活性化され(起きた)状態になったという。人間の脳は意外に使われていない部分があって、それが使われ始めたというのである。

 右脳と言えば、ひらめきや直感といった機能を司ると思われているが、空間をイメージする役割もあり、脳がしゃべり手の言葉を想像力で補うことで右脳が活性化したのではないかというのが専門家の意見らしい。ラジオから天気予報が流れてきたら、天候と場所とを想像力で結びつけようとする。この作業が右脳を働かせているのではないかという。

 聞き手の脳は、しゃべり手が次に何を言うのか無意識に予想し補完しようとする。脳がしゃべり手と一緒に雑談をしているように情報を処理しているらしい。日常よく聴いている番組では、聞き手にしゃべり手の口調がうつることがよくあるそうだ。頭の中で話し手の話し方を再現するからであろう。

 今回の検証は大学生を対象にしているが、脳の成長に年齢はまったく関係がないという。いくつになっても脳を成長させることができるそうである。

 ラジオ業界の人が言い始めた通説がこうして具体的な成果に結び付いてきたのは結構なことだが喜んでばかりもいられない。実は、日本人は聞く力が衰えてきているという。脳の中はいろいろな部位に分かれていて、それぞれ役割を担っている。その中に、耳から入ってきた情報を活用する部位があり、聴覚に特化した部位が理解力や記憶力を司る部位と密接な関係にあるという。

 今まで世の中では、聴覚視覚からそれぞれ情報を取り入れていたが、スマホが普及した現在では、ほとんどが視覚からの情報を扱うようになってきている。つまり目から入ってくる視覚情報優位の社会になってしまったのである。

 脳というのは、視覚優位になると相対的に聴覚系の部位がうまく働かなくなるという。一方、脳の容量は増えることはないのでどちらかが増えるとどちらかが減ってしまう。その結果、視覚優位になると人の言葉を理解したり記憶する部位が阻害されてしまう。これによって様々な弊害が起きてくる。たとえば、人の話を聞いてもその内容を覚えられない。集合場所とか集合時間とかを指示されても、昔は一発で覚えられたのに、命令を声で伝えられるようになると何回繰り返しても覚えられない人が増えてきているという。こういう経験のある人は視覚優位の“スマホ脳”になっているのかもしれない。

 したがって、生の人の声を聴く機会を作って聞く力を意識的に鍛える必要がある。現在はテレワークの時代でありリモート会議が盛んでリアルな会話がしにくい環境ではあるが、リアルな会話でなくても脳がしゃべり手と雑談している感覚になれるラジオ放送を聴くのが鍛えるツールとして良いのではないか。

▼終りに
 実は私は、以前から聴覚重視派だった。学生時代の試験勉強では、テキストを読んでいて重要な文章に出会うとその部分を声を出して読みながら頭に叩き込むことを無意識の内にやっていたように思う。更に言えば、最近では聴覚視覚の両方を同時に使うと、もっと良い結果が得られると思うようになっている。

 “読み上げる声を聴きながらテキストを読む”という方法である。これが一番記憶に残る勉強法であると信じている。たとえば、私のホームページ上の「私が耳にした健康情報」という欄を見ると分かると思う。ここでは、聴覚視覚の共用を実践して読者が健康情報を理解しやすくなるよう工夫されている。

 ただ一つ問題があるとすれば、音声情報のファイルは大きな容量を占めるので保存が難しいという点である。私の場合、自分のホームページの領域内に保存していたので、あるとき突然満杯になってしまい一切の登録ができなくなってしまったことがある。慌てて調べて見ると、音声ファイルが増え過ぎてテキストファイルを置く場所がなくなってしまっていた。解決策として、取りあえず音声ファイルを大量に削除しなければならなくなった。この問題を根本的に解決するまで、健康情報の欄はしばらく休止状態になっている。

 無料で使えるブログを利用すれば、テキスト情報や画像情報の保存は容易であるから保存上の問題はない。しかしなぜか音声情報だけのファイルは保存が許されていない。保存方法について、どなたか良い知恵があれば教えていただけると有難いのですが。

 例えばツイッターでは、投稿できる文字情報は140文字に限られているが、これからは音声情報なら140秒(2分ちょっと)以内であれば投稿できるようになると聞いている。音声情報ファイルの重要性を見直す時期にきているのではないでしょうか。

 最後のまとめ部分は、最新版見てください

2020年6月17日水曜日

マイナンバーカード


・Knuhsの書斎 から転載

── 初めて使ったマイナンバーカード


 私がマイナンバーカードを手に入れたのは3年前(2017年)のことである。自動車の運転免許を返上して以来、自分には身分証明として使えるものが無くなってしまい何かと不便をしていたのでその代わりにしようと思ったのである。身分証明には健康保険証も使えるが、自分の写真が添付されていないので身分証明としては使えない場合が多い。その点マイナンバーカードは写真付きなのでどこでも使える利点があった。以来、映画館や美術展などに入場する際にはシニア料金を指定できるようになった。

 したがって、マイナンバーカードが謳っている高度な(?)利用の仕方など一度も経験したことがない。最初に新しいマイナンバーカードを受け取りに区役所へ行ったとき、あらかじめ用意されていたパソコン端末の前に座らされ、自分の暗証番号を初期設定させられたのを覚えている(*1)。その暗証番号を残念ながらこれまで一度も使うことなく今日まで来てしまった。確か、間もなく失効して使えなくなる筈である。
【注】(*1)このとき不思議に思ったのは、この暗証番号の初期設定では英字は大文字しか使えないと言われたことである。説明資料にはそんな制限は書いてなかったので反論したかったが、結局は担当者の指示にしたがうことにした。担当者の勘違いではないかと今でも思っている。これではセキュリティーのレベルが半減してしまう。
 そんなとき、新型コロナウイルスの感染が広がり特別定額給付金として10万円が受け取れるということになった。給付金を申請をするには、国から郵送されて来る書類に必要事項を記入して返送する方法か、あるいはマイナンバーカードを持っている人は、パソコン端末からオンライン申請する方法があるという。これだ! やっとマイナンバーカードを(本当の意味で)利用できる機会がやってきたのだ。ここで利用しないで何時利用するというのか?!

 そこで、私は市のホームページを調べてオンライン申請ができる日が来たら素早く申請を済ませてしまおうと考えた。国のやることは何でも時間が掛かるが、家のパソコンから申請手続きができるのならこんな便利なことはない。早く受け取りたければ自らも努力する必要があると考えたのである。

 そのための準備として、以前登録した暗証番号を記録してある文書(*2)を見つけ出して確認してみた。暗証番号には次の4種類がある。


(1)署名用電子証明書(英数字6~16桁)
     …… 文書が改ざんされていないことを確認するために用いる
(2)利用者証明用電子証明書(4桁)
     …… 利用者本人であることを確認するために用いる
(3)住民基本台帳用(4桁)   …… 住民票コードを利用するため
(4)券面事項入力補助用(4桁) …… 個人番号や基本4情報を確認、利用するため
【注】(*2)暗証番号の内、(1)と(2)はカード発行後、5度目の誕生日で失効となる。(3)と(4)はその後も使用可能だが、カード発行後10度目の誕生日でカード自体が失効となる。必要なら再発行を申請しなければならない(また手数料を取られるのかもしれない)。
 どの暗証番号を使うことになるのかは分からないが、とにかくすべて頭に叩き込んだ。市のホームページの関係する場所を、私は自分のパソコンで使っているブラウザ上に“ピン留め”して毎日そこをチェックしては申請できる日が来るのを今か今かと待ち続けた。そして5月10日になってようやく待ちに待ったオンライン申請が可能になったのである。朝一番でそれを知ったのだが、実際に使える時間は正午からであった。

 正午になって早速申請手続きのページを開くと、長々と続く説明を読まされることになった。申請に使うブラウザはこれ、またはこれを用意すること・・・、各々のバージョンはこれこれ・・・という具合である。あぁ、これは一括して外部に依頼して作らせたに違いない。パソコンに慣れている人ならいちいちソフトウェアの種類などには依存しない形で利用できるようにする筈である。全面的にパソコンに慣れていない人を対象に作っているからこういうことになる。例外的なことを説明するための部分がどんどん広がって益々深みにはまっていく。

 途中で説明を読むのを諦めて書類作成場所への入口を捜すことにした。やっとのことで入口にたどり着くとコンピュータやOSの種類毎に異なる入口が用意されていた。しかしそのそれぞれに必ず「ICカードリーダライタ(*3)」が必要と書いてある。ここで愕然とすることになる。そうなんだ、国が用意するシステムで公的なサービスを受けようとすると必ずと言ってよいほど特別な仕様の部品の購入を求められる。庶民は仕方なく買わされているが、私はそれを潔し良しとしなかった。自動車運転免許証 然り、ETCカード 然り、確定申告で使うe-Tax 然りである。私はこういう部品には手を出さない主義である。これではオンライン申請は諦めるしかない。
【注】(*3)ICカードリーダライタとは、ICカードに記録された電子情報を読むための機器である。公的な個人認証サービスでは、様々な機関に電子申請・届出等を行う際にマイナンバーカードに記録された電子証明書を利用して手続きを行う仕組みになっているらしい。
 オンライン申請を諦めた私は、家族と一緒の昼食を摂りながら申請手続きがうまくいかなかったと報告することになった。新聞等に掲載されていた広報にはICカードリーダライタが必要だとはどこにも書いてなかった(!!)、とぼやきながら。すると義息子が「ICカードリーダライタなら持っていますよ」と言う。彼は普段から確定申告はe-Taxを利用してやっていたのを思い出した。どうやらそれと同じカードリーダで済むらしい。
 早速そのICカードリーダライタなるものを借りることにして、私は何んとかオンライン申請の手続きを完了させることができたのである。

 その後聞いた話では、オンラインで申請された書類の方が処理に時間が掛かることが分かったのだそうである。オンラインで情報を受け取るまでは速かったかもしれないが、その後の処理が機械化されていなかったのである。その結果、人手によるチェックに膨大な時間を費やすことになったのであろう。その後しばらくして、このオンライン申請の窓口は閉じられてしまったそうである。昔ながらの紙による申請書類の方が組織の実態との相性が良かったのであろう。

 かくして、私の「初めてのマイナンバーカード利用」は無事終了したのであった。そして、初日に手早く申請した効果もあったのだろう、6月1日に給付金を受け取ることができたのである。ヤレヤレ。

 ところで、2020年9月からはマイナンバーカードを利用するマイナポイント事業が計画されていて、引き続きキャッシュレス決済が推進されるらしい(いや、本当のところはマイナンバーカードの普及の方が主なのであろうが)。その動向がどうなるのか気になるが、当面はマイナンバーカードを持っていることにしようと思う。しかしカードが失効する2026年の誕生日までには、再発行してもらうかどうかを慎重に決めなければと考えている。

2020年4月6日月曜日

2020年 桜を見るカイ?

2020年 桜を見るカイ?

2020年 桜を見るカイ?

( 場所:登戸 二ヶ領用水付近、我が家の庭 )

【Camera: Canon EOS Kiss X7】            
【Lens: Canon EFS LENS EF-S18-55mm f/3.5-5.6 IS STM】 


クリックで拡大できます
(2020-6-20修正)


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2020年3月16日月曜日

パンデミック(2) 集会禁止


・Knuhsの書斎 から転載

── 集会禁止


クラス会くらすかいおくらすかぃ?







2020年3月13日金曜日

パンデミック 集会禁止


・Knuhsの書斎 から転載

── 集会禁止


同 窓 会どうしょぅかぃ、どうしょぅかぃ?







2020年3月1日日曜日

変な日本語表現(その2)


・Knuhsの書斎 から転載

── 昨年の流行語大賞 ONE TEAM


 昨年の流行語大賞を覚えていますか?
 あれ程話題になったのに、年が変わるときれいサッパリと忘れ去られてしまうのが例年の流行語大賞である。しかし今年は違った。2019年度の新語・流行語大賞の中でも年間大賞に選ばれた「ONE TEAM」は、年が明けても記憶に残っていて、よく使われているようだ。

 1 ONE TEAM
 2 計画運休
 3 軽減税率
 4 スマイリングシンデレラ/しぶこ 
 5 タピる
 6 #KuToo
 7 ○○ペイ
 8 免許返納
 9 闇営業
10 令和
表:昨年の「新語・流行語のトップ10

 春となりスポーツの季節になると、再び「ONE TEAM」というキャッチフレーズを耳にするようになった。団体スポーツでは「チームワーク」とか「野球チーム」のように使い勝手の良い便利な言葉だからであろう。「チーム」というのは今や立派な日本語(*1)になっている。
【注】(*1)チームワーク、野球チーム、チームゲーム、
     チームスピリット
 しかし英字で“ONE TEAMワンチーム”(ワンチーム)と表現されると、私は一言異議を唱えたくなってしまうのだ。
 周知の通り“team”の正確な発音は【ti:m】であるから、このつづりを見ると私は反射的にどうしても「ティーム」と発音したくなってしまう。

 “team”を「チーム」と発音したのでは、海外で英語で話す場面ではまるで通じない。お粗末な英会話力で苦労してきた私には、苦い思い出しか浮かんでこないのである。

 日本では、外国語の単語をカタカナ表記して、あたかも日本語の用語のように使う便利な表現法がある。その用語の日本語訳が存在しない場合には、この手法を使ってどんどん新しい用語を取り込んでしまえば良いのだから便利である。立派な日本語訳があっても、あえてカナ表記の方を使う人がいるくらいだから余程この手法の使い勝手が良いのであろう。しかも読むときは日本語的発音になっているから、それが英語でも同じ発音で通じると勘違いしてしまう人が多い。この結果、変な日本語表現が増えていくのであろう。

 我々日本人が普段の日本語で会話をしているとき、その中に突然巻き舌で発音する英語の用語が混じったりすると、何か奇異な感じを与えてしまうものである。余程の英語の達人が使ったのなら別だが、そうでない限り気取っているようで不自然に聞こえてしまう。私のような英語の下手な者がしゃべるとキザに聞こえるに違いない。

 だから私は、日本語の会話では常に「チーム」と発音することにしている。「チーム」というのは、もはや日本語の用語になっていますからね。しかし英会話の中で使う場合“team”は「ティーム」と発音するよう抜かりなく切り替えることが求められる。こういう切り換えをしなければならないから、日本人は何時までも英会話力が身に付かないのかもしれない。

 ラグビーのワールドカップで活躍した日本チームは、「ONE TEAM」というキャッチフレーズの生みの親であるが、その中の外国生まれの日本選手たちも全員日本流に「チーム!」と発音していたようだ。これは、私にとっては予想外のことであったが「郷に入れば郷に従え」ということで、彼らは日本チームの一員になりきろうと涙ぐましい努力をしていたのかもしれない。大和魂を身に付けるためには、発音の些細な違いなど気にしてはいられなかったのであろう。

 同じような発音の間違いは、いたるところで見ることができる。
 “Mailメイル”は「メール」と発音されている。これに従うと“Mailerメイラー”は「メーラー」となって、いかにも日本的な雑な発音になってしまう。
 アカデミー賞(Academy Awards)というときの“Awardアウォード”は「アウォード」と発音すべきだが、多くの人は「アワード」などと発音している。

 “賞”とか“大賞”という立派な日本語があるのに、あえて英語を使いたがるのは何故なのか。テレビやラジオのアナウンサーが繰返し「アワード!」と叫んでいるのを聞くと私は恥ずかしくなってくる。欧米人がこれを聞いたら何んと理解するのだろう。

 「アワード」が、将来日本語として採用されるのかと思うと悲しくなる。一度英語の辞書を引いて正確な発音を調べてみることをおすすめしたい。

2020年1月22日水曜日

非日常的な出来事


・Knuhsの書斎 から転載

── 非日常的な出来事


▼非日常的な出来事
 公務員はボケ易いのだそうである。真偽の程は私には分からないが、役所の仕事はその性質上マニュアル化されているから、ワンパターンの同じような仕事ばかりしているためではないかと推測する。

 最新の医学が教えるところによれば、毎日同じことを繰り返しているとボケ易いという。できるだけ新しい試みに挑戦するような生活をしていると脳を刺激するのでボケ難いのだそうである。たとえボケ始めている人でも進行を遅らせる効果が期待できるという。

 私はボケ防止のため、できるだけ文章を書く努力をしている。それも、ある程度長い文章で全体の構成にも気を配らないと書けない程度のものである。この努力に対する最大の敵は、齢を取ると段々と書くのが「面倒くさくなる」という点である。

 特に、非日常的な出来事があると脳を刺激することが分かっている。しかし引退した高齢者にとって、そうそう非日常的な出来事には出会えない。

 そんな中で、私は自分の人生では一度か二度しか起こらないような超ビッグな出来事を経験してしまった。これを詳細に記録してエッセイとしてまとめてみようと思い立ったのである。その成果が以下に紹介されています。読んでみてください。

   http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/sture179.htm

 こんな出来事が繰り返し起ったのでは困るが、もっと楽しいことなら大歓迎である。