2017年6月25日日曜日

新幹線を利用して (木下恂)

・ブログ( ドッと混む・Knuhsの書斎 )から転載

── 自動改札・券売機と格闘する

 名古屋での法事に出席するため新幹線で日帰り往復することになった。恥ずかしながら、私にとっては久しぶりの新幹線利用だったので自動改札や券売機と格闘することになった。その顛末を記しておこうと思う。


▼乗車ルート
 私は、新幹線で東京から関西方面に行くときは何時も新横浜駅から乗ることにしている。これが一番早くて運賃も安い。先ず、家の近くのJR南武線の駅から乗車し、武蔵小杉経由で東横線に乗り換える。そして菊名駅からはJR横浜線で1駅の新横浜駅で降り新幹線に乗車するというコースである。


 会社勤めをしていた頃は、先ず菊名までの乗車切符を買い、新横浜で乗り越し精算をしてから切符売り場の窓口で駅務員から直接新幹線切符を購入していた。手際よくやればこれで十分に間に合っていたのである。


▼切符とICカード

 その後、技術が進み切符に代わってICカードを使う時代となった。しかし頑固な私めは、それでもずっと切符を買うことに拘ってきたのである。
 消費税が上がり1円単位で運賃に付加されるようになったとき、何故か切符購入者だけは10円の単位まで切り上げられるという差別を受けることになった。その結果、ICカード利用者よりも損をする立場になってしまったのだ。頑固な私めもさすがにこの差別には耐えられず、諦めてICカード利用者へと寝返ることになった。


 さて、話が本論からそれてしまったように思われるかもしれないが、実はこのICカードと自動改札の相性の問題について私は触れたかったのである。切符を利用する場合は問題ないのだが、ICカードでこの「私の新幹線乗車ルート」を利用するとき、果たしてうまく通過できるかどうか少し心配になってきたのである。


▼自動改札という関所
 周知の通り、ICカードでは自動改札から入場したときに料金計算がスタートするが、未払い状態のまま乗車していることになる。降車駅の自動改札から退場するときに初めて料金が確定し支払い完了となる。乗り継ぎで利用する自動改札という 関所 でも同様に処理が行われている。途中の関所をいいかげんに通過することは許されない。


 一方、切符の場合は最初から前払いされているから、今までは途中の関所の通過がそれほど厳密にチェックされることはなかった。どんなルートを取ろうとも、最終的に降車駅で切符を見せれば不足分は精算されるから何となく心理的には楽であった(こちらは別に不正行為をはたらいている訳ではないのだが)。新たなICカード利用者にとって、乗り継ぎで関所を通過する際は未払い状態のチェックが必要になるから切符の場合よりも緊張を強いられるのは避けられない。自分の行為に何かミスがないか、常に注意していなければならなくなったのである。


▼不正行為の扱い

 実は、私は企業での在職中、自分の守備範囲の中に自動改札システムのソフトウェア開発を担当するグループを(一時的だが)抱えていた時期があった。私は技術的な詳しいことは知らないが、耳学問でいろいろな知識を得ていた。
 自動改札では、どんな種類の不正行為も必ず発見することができるという。ただ、不正を発見しても常にそれを指摘して乗客を捕まえる訳ではない。不正行為の回数がある程度の限界を超えたとき、初めて駅員が後ろから「もしもし」と肩を叩きながら呼び止めて事情を聴くことになるのだそうである。


 部下がそういう仕事をしていると、上司である私も自動改札を通過するときは常に「模範的な乗客」を演じる必要があった。「不正行為など以ての外」と心して通るようになったのである(もちろん普段でも不正行為はしていませんけどね)。自動改札の周辺で挙動不審者とみなされることも避けなければならない。そういう訳で、私にとって自動改札とは「模範的な態度」で、流れに乗って「素早く通り抜ける」べき場所だったのである。


▼切符を予約
 出発当日は朝の早い時間に出掛けるので、ラッシュアワーの混雑に不慣れな年寄りが新横浜の駅で新幹線切符を購入するというのは少し無理がある。そう考えて安全のため前日に切符を予約することにした。


 前日の午前中に隣り駅の「みどりの窓口」へ行くと、既に長い行列ができていて13名ほどの人達が並んでいた。やれやれと思ったがこれは私も並ぶしかない。しばらくすると、若い駅務員が回ってきて列に並んでいる人達に順に行き先を聞いてはメモしてくれている。手続きを迅速に済ませるためなのであろう。私も行き先を伝えると、ルート間に私鉄が入るので1枚の切符にはできないと言う。菊名から名古屋までの切符だけになります。それなら、あちらの自動券売機で簡単に買えますよ、と外にある切符売り場の方を指さすのであった。


▼自動券売機に挑戦
 そう言われると「できません」とは言えないので、私は外に出てタッチパネル式の券売機に挑戦してみることにした。


 やってみて驚いた。何でも指定できるようになっているではないか(当たり前だが)。色々な選択肢があるので今までは敬遠し、人の居る窓口で口頭で自分の意思を伝えていたのだが何でも指定できるようだ。座席指定では座る位置まで含めてすべて自分で指定できるようになっていた。今までは、回数券とか、観光地で利用すると便利なフリーキップとか、割引で得することが分かっているものでなければ決して手を出さなかった機器が、かなり身近なものに感じられるようになった。


 こうして無事に名古屋までの片道切符を手に入れることができた。ただ、支払いを「クレジットカードで」と指定したところ、パスワード入力を求める画面があの大きなタッチパネル画面に大写しになったときは驚いた。多くの人々が後ろから見ている前で、私は自分の「極秘!のパスワード」を入力しなければならなかった。初めての経験であった。


▼関所を通る(往路)
 さて、いよいよ当日になった。菊名までは順調であった。私が心配していたのは、東横線の菊名駅から横浜線へ通じる自動改札がどうなっているか、ということだった。ICカードと新幹線切符をどう扱えばよいのか分からなかったのである。表示を確かめながら無事に横浜線に通じる専用の自動改札の場所を見つけた。


 何やらアナウンスされているようだ。改札機へ投入する順番を教えてくれているらしい。日本語の堪能な!私めは「最初に切符を」、「次にカードを」と言っていることを素早く察知したのである。自分の予想とは逆だったが、そんなことは先刻承知と何食わぬ顔をして「先ず切符の投入」、「次にカードの接触」の順に対応することにより無事に関所の第一関門を通過することに成功したのである。


 人の流れに乗って素早く自動改札を通過しながら私は考えていた。なるほど、こうすればよいのか。帰りの関門通過も同じ要領でやればよいのだな、と。


▼関所を通る(帰路)
 法事も無事に終り、3時過ぎに帰路についた。
 名古屋駅に戻り新幹線の切符売り場で再びタッチパネル式の券売機の前に立った。今度は「名古屋から新横浜、更に横浜市内(つまり菊名)まで」という指示をして座席指定の切符を無事に手に入れることができた。いいぞ、この調子だ。こういうことをスマートにできなくなると、やがてボケが始まるのだろうなどと考えていた。


 新横浜駅には5時過ぎに到着し無事に下車。横浜線で再び菊名駅の東横線に乗り換えるための自動改札という関門前にやってきた。帰宅する人々で改札前は混んでいるが、今度は、今朝学んだばかりのことを応用すればよいのだと気楽に考えていたのである。


 先ず自動改札に新幹線切符を挿入した。すると何んとしたことか! ゲートが音を立てて強制的に閉じられてしまった!! そして切符の排出口から、私が投入したばかりの新幹線切符と、更に何故か普通の乗車切符(140円分)が1枚添えられて出て来たではないか!!! 何だ、これは?


 私は大いに動揺してしまった。排出されたばかりの新幹線切符には赤で何か印刷されているように見えた。しかし自動改札という関所は常に 素早く通り抜ける を信条としている私めは、それを確認する余裕はなく排出された切符類を掴み取ると素早く自動改札の流れから離れることにした。そして5メートル程横にある駅務員がいる窓口へ持っていくことにした。


 駅務員は心得たもので、私が何も言わないうちから素早く新幹線切符だけを回収し、140円の乗車切符の方を手近な自動改札機の挿入口に入れて、私に向かってさあ通ってくださいと合図したのである。私は、ここでICカードをタッチすればよいのですね、と確認してから通り抜けたのである。


▼私の推測
 しかし分からない。何がどう処理されたのか理解できないままであった。以後、家に着くまでの間今の出来事をどう解釈すればよいのか考え続けることになってしまった。あのとき新幹線切符に赤で何か書いてあったような気がするのだが確かではない。しっかりと確認すればよかったと思ったがもう後の祭り。後は推測するしかない。


 多分、こういうことではないかと思う。
 JR側はこの関門で新幹線切符を回収しなければならない。しかし乗客(私)に何か菊名駅通過の証明書となるものを持たせる必要がある。乗客が東横線に乗って行くのなら、到着駅で清算できるように菊名駅通過を証明できる140円切符(使用済み!)が必要になる。あるいは、東横線に乗らずにそのまま菊名駅の改札から外に出ることもできる。そのための証明書だったのではないか。


 もしこの推測が正しいとすれば、私が最初に新幹線切符を挿入したときそのまま回収し、排出口からは証明書として140円切符を排出すればよいのではないか? 何故そうしなかったのか。分からない。


 多分、その小さな切符の排出に気が付かずそのまま証明書なしで通過する乗客が出るのを恐れたのかもしれない。つまり乗客を信頼していないのであろう。どんな乗客にも対処法がすぐ分かるようなシステムであって欲しいものだ。


 そう言えば、あのときの140円切符はどうなったのだろう。全く忘れてしまっていた。私はICカードを持っていたから不用だったが、・・・。そうか、こういう不注意な乗客が多いことを考慮して作られたシステムだったのかもしれない。


 いずれにしても、これから東京五輪・八輪(ゴリン・パリン)のために来日するであろう諸外国の人々に容易に理解できるようなシステムであってほしいと思う。それが本当の「お・も・て・な・し」というものであろう。■

2017年5月13日土曜日

高齢者 (木下恂)

・ブログ(どっと混む・Knuhsの書斎)から転載

── 電車で席を譲られる

 人間誰しも、何時かは経験しなければならないと覚悟を決めていることがある。それもあまり歓迎したくない事である場合が多い。そういう事態が突然我が身に訪れた。
 電車に乗っていて席を譲られることを始めて経験したのである。もちろん、これまでにも席を譲られたことはある。しかし明らかに高齢者であるという理由で譲られたことはなかったと思う。私の年齢からして何時かはそういう事態になることは当然予想されていた。それが現実のものになっただけのことで、そんなことは常に“突然”起きるに決まっていると言われるかもしれない。しかし私にとっては“突然に訪れた”と表現したくなるくらいショッキングな出来事だったのである。多分、心底では“予想したくない”出来事だったからであろう。

 そのとき私は、何時もの通り急行に乗って3つ目の駅で降りる積りだったから乗車時間は10分も掛からない。少し混んでいたので入り口から奥の方へと移動した。私が立った位置の前の席では女学生が熟睡している。その右側の席では30歳代と思われる外人の若者がイヤホーンで熱心に音楽を聴いている様子。私は吊革につかまりながら車窓から外を眺めることにした。

 電車は2つ目の駅を過ぎ、次は私の降りる駅になるがこの区間は急行が止まらない駅が続くので比較的長い区間である。突然、右の席の若者が「はっ!」と言うような声を発し突然立ち上がった。乗り越したことに気が付いたという風に見えたが「どうぞ」と言う声がした。私の右側に立っていた女性に席を譲るのだなと思ったが、そうではなく彼の視線は私に向いており私に席を譲りたいと言っていることが分かった。その瞬間、私はかなり動揺した。沢山の乗客が居る中で一番の高齢者と指摘されたような気がしたのである。「いや、結構です」といったんは断ったが、尚も勧められたのでその好意を無にするような失礼があってはいけないと思い「ありがとうございます」と言って座ることにした。すると若者は「ドウイタシマシテ」と返してきた。

 私は、海外から来た留学生が礼儀正しい日本人の中で生活するためのマナーをしっかりと学習しそれを実践している場面を(勝手に)想像していた。「次、降りますから」などと言って断り、折角の好意を無にしている人をよく見かけていたので、ここは日本人として彼の好意をしっかりと受け止めてあげなくてはいけないと思ったのである。

 実は「電車で席を譲る」という行為については以前から考えていたことがあった。以前教師をしていた頃、「情報倫理」の授業で毎年学生に課すレポートのテーマとして「自分の倫理観がどの程度のものか、自身の経験に照らして記述せよ」という課題を出していたのである。そして“自身の経験に照らして”と“手書き”でA4用紙一枚にまとめるという2つの条件を付けることにしていた。こうすると、学生が得意とする「コピペ」という行為がし難くなるのを経験的に知っていたからである。「CDの不正コピー」とか「ソフトウェアの不正使用」とか、学生の立場でも法に触れるか触れないかすれすれのテーマはいくらでもある。そういうテーマを取り上げてくれることを期待して課題設定しているのだが、案に相違して学生たちは「倫理」の意味を拡大解釈し「道徳」の分野に属するテーマばかりを取り上げてお茶を濁そうとする者が多かった。その際に、彼らが取り上げるテーマが横断歩道での「信号無視」と、この「電車で席を譲る」だったのである。

 私は、若者たちのそういうレポートをいやと言う程沢山読まされてきているので、最近の若者たちの電車で席を譲る行為についての考え方を知悉していた。要するに彼らは電車内で席を譲ることができないのである。「譲ろうか、止めようか」で迷う。迷ったら先ず実行されない。この外人の若者は直ぐ決断したのに、日本の若者はそれがなかなかできないのはなぜか。なぜ迷うのか、なぜ躊躇するのかというと、自分が周りの人から「いい子ちゃん」を演じていると思われたくないからなのだと言う。つまり「いい子ぶりっこ」と思われたくないのだそうである。周りの人の思惑ばかり気にしている若者が多い。「こうすべきだ」と思ったら断固実行する人が少ない。まず「周りがどう見るか」を気にしてしまうらしい。

 高齢者や身障者あるいは妊婦らしき人を見つけると、高齢者の私でも席を譲ろうとする。そのときのコツは「譲ろうか」という考えが頭に浮かんだら、迷わず立ち上がることだと思ってそれを実践してきた。あの若者も譲ろうと判断して即座に立ち上がったように見えた。日本の若者たちもこれを見習うべきであろう。

 ただ、あの若者の判断の内、相手が高齢者かどうか判断する能力だけはもう少し磨きをかける必要があるのではないかと思う。日本では高齢者かどうかの判断は大変に難しい。何しろ日本では、経済状況の変化によって「高齢者」の定義が恣意的に変わってしまう可能性がある珍しい国だからである。
 私自身も、高齢者とみなされないように精々努力することにしよう。

 私は、譲られた席に座ったまま尚も考えていた。席を譲ったのに直ぐ立ち上がり電車を降りてしまったのでは彼もがっかりするかもしれない。この区間が少し長かったことで少しは救われるかな、等と考えている内に電車はようやく駅に滑り込み、ホームに到着しようとしていた。丁度良い間合いだ。私は席を立つ際にその若者に向かって「ありがとうございました」と声を掛けてから電車を降りたのであった。私も、彼も(多分)お互いに少し良い気分になれたような気がした出来事であった。■

2017年2月5日日曜日

写真アルバムの永久保存

松涛中学4回生関係の写真アルバム


 自分のホームページの“終活”を進めながら考えました。学校時代の写真集は安易に消去したりしないで、子や孫の代までずっと残すべき財産ではないかと思います。そこで、ほぼ永久に保存する方法を考えました。現時点での最良の方法は、G領域に置くことであると確信し、この場所に集めることにしました。

目次


先生方、卒業生全員の写真
 
1955,1956年 同窓会の記録
 
第4回 同期会の記録
 
永久保存について詳しく知りたければ
【ここをクリック】

 

作成:shun kinoshita / knuhs

2017年1月31日火曜日

同期会の記録(2006年 同期会)

松涛中 第四回・同期会の記録から

松涛中 第四回・同期会の記録から
日時:2006-10-7
場所:渋谷東急イン 4F会場

クリックで拡大できます

(名前の公表を望まない人は申し出てください)

(1)受付:佐内(塩沢)資子、
桑原(大谷)洋子


(2)小林幹育、国友孝雄



(3)飯島(三田)由喜子、
等々力森男、森山慶雄


(4)阿久沢美津子、
明石(田中)星子、
加藤(松井)寿美子、
上田(宮島)多恵子
(5)山下健二、倉木先生、
小出雄一
(6)幸村基予士、松下信之、
野村匡男
(7)野村匡男、細木久慶、
星野浩平
(8)近藤義輔

(9)大黒一弘、上田邦介

(10)細木久慶、星野浩平

(11)小出雄一、国友孝雄、
小林幹育
(12)会長挨拶:小林幹育

(13)加藤(松井)寿美子、
阿久沢美津子、
上田(宮島)多恵子、
明石(田中)星子
(14)がやがや



(15)森山慶雄、近藤義輔、
等々力森男、小川(松橋)千穂


(16)小川(松橋)千穂、沢登洋一



(17)乾杯:幸村基予士



(18)石井辰哉、
筒井(秀島)美恵子、
淡路(清水)フサ子、
大黒一弘
(19)淡路(清水)フサ子、
大黒一弘、上田邦介


(20)森山慶雄、等々力森男



(21)野村匡男、倉木先生、
沢登洋一
(22)近藤義輔、今井先生、
小出雄一
(23)等々力森男、松下信之

(24)森山慶雄、等々力森男

(25)小林幹育、星野浩平


(26)星野浩平、幸村基予士


(27)佐内(塩沢)資子、
桑原(大谷)洋子、
飯島(三田)由喜子
(28)佐内(塩沢)資子、
桑原(大谷)洋子、
飯島(三田)由喜子
(29)小川(松橋)千穂、
阿久沢美津子、
上田(宮島)多恵子
(30)阿久沢美津子、
上田(宮島)多恵子、
明石(田中)星子
(31)明石(田中)星子、
加藤(松井)寿美子

(32)明石(田中)星子、
加藤(松井)寿美子、
須内(関場)文子、佐内(塩沢)資子
(33)今井先生、国友孝雄
(34)大黒一弘、野村匡男
(35)近藤義輔、倉木先生
(36)今井先生
(37)木下恂、星野浩平、
幸村基予士
(38)今井先生、木下恂

(39)小出雄一、登坂先生登場

(40)登坂先生、加藤(松井)寿美子

(41)今井先生挨拶


(42)今井先生


(43)幸村基予士、
飯島(三田)由喜子、小出雄一、
平野正隆、等々力森男
(44)等々力森男、登坂先生、
倉木先生

(45)山下健二、森山慶雄、
木下恂、幸村基予士、
飯島(三田)由喜子、平野正隆、
等々力森男
(46)登坂先生挨拶

(47)登坂先生



(48)登坂先生



(49)倉木先生挨拶

(50)幸村基予士、平野正隆

(51)石井辰哉、登坂先生、
倉木先生
(52)松下信之、小出雄一、
星野浩平
(53)木下恂、登坂先生、
倉木先生
(54)桑原(大谷)洋子、木下恂

(55)木下恂、小出雄一

(56)校歌:山下健二

(57)登坂先生、須内(関場)文子


(58)山下健二、桑原(大谷)洋子、
筒井(秀島)美恵子、
登坂先生、須内(関場)文子
(59)小林幹育、桑原(大谷)洋子、
筒井(秀島)美恵子、
登坂先生、須内(関場)文子
(60)倉木先生、山下健二、
今井先生

(61)木下恂、小出雄一、
今井先生、筒井(秀島)美恵子、
登坂先生、須内(関場)文子、
倉木先生