━━ 新しい言葉との出会い 木下恂
日本語の慣用句の使い方について、文化庁が行った世論調査の結果が発表された。それを紹介した新聞記事を読んでいると、私はいつも自分の無知と不勉強を(密かに)恥じていたものである。ところが、今年の発表の多くは自分の理解の方が正しくて、逆に若者達(多分)の新しい解釈に驚かされることの方が多かった。これは前回発表の後、私の国語力が急に向上したとは思えないから、若者の解釈が多様になってきたと考えるべきであろう。
たとえば「煮詰まる」は、正しくは「議論や意見が出尽くして、結論が出る状態になる」ことであるが、最近は「議論が行き詰まってしまって、結論が出せない状態になる」という意味に解釈している人が4割近くいるという。しかも一部の辞書には、この両方の意味がともに載るようになったとのことである。
言葉というものは時代とともにその意味が変化していくものらしい。新しい意味が追加されると、その分だけ言葉の表現力が豊かになったと言える。しかし正反対(*1)の意味が追加されることになれば、世代間で意味の解釈が異なることになり、場合によっては正確な意思疎通の妨げになる恐れもある。そうなると、もはやその言葉に利用価値はなくなるのではないかと私は危惧するのである。そういう厄介な言葉は使いたくないと思うだろう。
【注】(*1) “正反対”という立派な言葉が存在するのに、最近「真逆」などという変な言葉が使われるようになった。私めには理解し難いことである。
同じ言葉が正反対の意味になってしまうような“おかしな解釈”が頻繁に出現するようになった背景はある程度推察することができる。
ここでは、自分の知らない“新しい言葉”に出会ったとき、我々はどのように対応しているか(あるいは対応してきたか)を考えてみよう。
私が「新しい言葉」に出会うのは、主に読書を通じてである。本を読んでいて未知の言葉に出会うと、まず前後の文脈との関係からその意味を推測して自分の脳内辞書に登録する。意味が分からなければ辞書で調べることもあるが大抵はそのまま読み進むことになる。中学生時代に習った国語教師の若井田先生からは、本の文章から「生きた言葉」を学ぶように、と教えられた記憶がある。辞書に書かれた言葉は、いわば「死んだ言葉」であり、いろいろな意味が列記されていてもどのような文脈で使われるのかは分からない。それに対し本の中で出会った場合は、前後の文脈を繰り返し読んでその意味を推測することができる。前後の文脈とともに覚えた「生きた言葉」を学ぶことの重要性を教えられたのである。更に、本の中で使われた言葉であるから、当然正しい使われ方をしていることが保証されていると思ってよい。
ところが、最近の若者達(多分)は本を読まない世代であると言われているから、おそらく会話を通じて、あるいはネット上の文書の中で新しい言葉に出会うのであろう。会話の場合は、録音でもしない限り前後の文脈はすぐ忘れ去られ反芻できない。そうなると前後の文脈とは無関係に、その言葉だけから意味を推察しなければならない。漢字表現も同音異義語にすり替わってしまう可能性がある。その会話の中で正しく使われたという保証もない。間違って使われた場合は間違って覚えてしまう可能性が高くなる。ネット上の文書では正しく使われているかは全く保証の限りではない。結局、「死んだ言葉」ばかりを自己流で学んでいることになるのではないかと思う。こういうステップを踏んで覚えた言葉から“おかしな解釈”が生まれてくるのではあるまいか。
新しい言葉の意味を辞書類で調べるのは、この文脈からの推察を行った後にすべきであろう。そうすれば、更に広い活用法が見つかり語彙を増やすことができるかもしれない。■
2014年10月28日火曜日
2014年6月6日金曜日
松濤中学校
木下様
宏さんの事ご連絡していたようですね。思いもしない急逝で動転してしまいどな
たにご連絡したのかも定かでなく混乱しておりました。
家に引きこもり涙に暮れる毎日でしたが心身共にこのままではいけない、と社会
に接する時間に切り替えこれからますます必要になった英語クラスに通 い始め
ました。クラスでは最長年齢ですが勉強は生涯ですから若い人達に混じって励ん
でいます。
さて、松濤には2000年4月8日に渋谷の「忠犬ハチ公まつり」を通って松濤
中学校に行き、桜と校舎の写真を撮りました。鍋島公園も見事な桜で暫 く座っ
て景色を堪能しました。渋谷の駅近くは混雑ですが松濤の住宅街は別世界のよう
に閑静で落ち着きました。
2002年12月13日に佐賀県神埼町にある「佐賀県史跡・伊東玄朴旧宅」に
県庁職員の方が案内して下さり宏さんの4代前の先祖の生家を見せて頂 き写真
も沢山撮りました。長崎で西洋医学をシーボルトから学び江戸に渡り日本で始め
て種痘をし多くの命を助け、のちに将軍の筆頭従医となりまし た。明治時代に
入り学制が敷かれた際玄朴の医学所や医療器具が全て政府に寄贈され、それが現
在の東京大学医学部になりました。1880年に生まれ た家が県の史跡として
その当時のまま維持されていますのでもしご興味のある方がいらしたら、神埼の
小山の中腹で眺望も良く季節の花も綺麗です。頂 上に神社があり神主が玄朴の
親族だったそうです。
伊東静子
宏さんの事ご連絡していたようですね。思いもしない急逝で動転してしまいどな
たにご連絡したのかも定かでなく混乱しておりました。
家に引きこもり涙に暮れる毎日でしたが心身共にこのままではいけない、と社会
に接する時間に切り替えこれからますます必要になった英語クラスに通 い始め
ました。クラスでは最長年齢ですが勉強は生涯ですから若い人達に混じって励ん
でいます。
さて、松濤には2000年4月8日に渋谷の「忠犬ハチ公まつり」を通って松濤
中学校に行き、桜と校舎の写真を撮りました。鍋島公園も見事な桜で暫 く座っ
て景色を堪能しました。渋谷の駅近くは混雑ですが松濤の住宅街は別世界のよう
に閑静で落ち着きました。
2002年12月13日に佐賀県神埼町にある「佐賀県史跡・伊東玄朴旧宅」に
県庁職員の方が案内して下さり宏さんの4代前の先祖の生家を見せて頂 き写真
も沢山撮りました。長崎で西洋医学をシーボルトから学び江戸に渡り日本で始め
て種痘をし多くの命を助け、のちに将軍の筆頭従医となりまし た。明治時代に
入り学制が敷かれた際玄朴の医学所や医療器具が全て政府に寄贈され、それが現
在の東京大学医学部になりました。1880年に生まれ た家が県の史跡として
その当時のまま維持されていますのでもしご興味のある方がいらしたら、神埼の
小山の中腹で眺望も良く季節の花も綺麗です。頂 上に神社があり神主が玄朴の
親族だったそうです。
伊東静子
Re: 4回生のホームページについての報告
木下さん
同期の森山慶雄からのメールです、松濤投稿から送らずに失礼しま
した。
ここ何年間、仕事からも解放され数年前に卒業した世田谷の小学校
のクラス会に出席しました、クラス会の場所は渋谷の旧東宝映画館
の側の鈴井薬局の隣の中華料理店(PANDA)で行われました。
この世田谷の小学校から同期で松濤中学に"宮尾""早川""森山"の
三人が入学しました、そして彼等とは小学校で同じクラスでした。
残念でしたが宮尾は欠席でしたが早川は幹事役で頑張っておりました。
このクラス会に出席したお蔭で、クラス会の前に松濤中学、松濤町の
近辺を歩き廻りました。
今年はクラス会を有志会として幹事を引き受ける事に致しました、この
世田谷の小学校は数年後、近隣の小学校と合併して廃校となります。
そこで学校に連絡して20数名になりますが学校で集まり、有志会を行
う予定です。
宮尾君の家は学校の至近距離にありますので早川君共々、旧交を
温めたいと思います。
懐かしい友人の名前が出ますのでメールをお送りしました。 森山
同期の森山慶雄からのメールです、松濤投稿から送らずに失礼しま
した。
ここ何年間、仕事からも解放され数年前に卒業した世田谷の小学校
のクラス会に出席しました、クラス会の場所は渋谷の旧東宝映画館
の側の鈴井薬局の隣の中華料理店(PANDA)で行われました。
この世田谷の小学校から同期で松濤中学に"宮尾""早川""森山"の
三人が入学しました、そして彼等とは小学校で同じクラスでした。
残念でしたが宮尾は欠席でしたが早川は幹事役で頑張っておりました。
このクラス会に出席したお蔭で、クラス会の前に松濤中学、松濤町の
近辺を歩き廻りました。
今年はクラス会を有志会として幹事を引き受ける事に致しました、この
世田谷の小学校は数年後、近隣の小学校と合併して廃校となります。
そこで学校に連絡して20数名になりますが学校で集まり、有志会を行
う予定です。
宮尾君の家は学校の至近距離にありますので早川君共々、旧交を
温めたいと思います。
懐かしい友人の名前が出ますのでメールをお送りしました。 森山
2014年6月5日木曜日
さよなら宏さん
木下様
今日メールを拝見し宏さんの急逝をお知らせしていなかったようです。
11月30日夕刻眠るように亡くなりました。大学を引退してからは通訳として
長年活躍し地域に貢献していましたが苦しむ事も無く逝ってしまいまし た。
ホームページに投稿などまだまだ続けられたのに残念ですが、健康など良いとき
に他に何の心配もなく「ではさようなら」とお別れしたのも宏さん らしい最後
だと思います。
生前楽しいひと時を持たせて頂き、宏さんに代わってお礼申上げます。
皆様の末永いご健康ご多幸をお祈りしております。
伊東静子
今日メールを拝見し宏さんの急逝をお知らせしていなかったようです。
11月30日夕刻眠るように亡くなりました。大学を引退してからは通訳として
長年活躍し地域に貢献していましたが苦しむ事も無く逝ってしまいまし た。
ホームページに投稿などまだまだ続けられたのに残念ですが、健康など良いとき
に他に何の心配もなく「ではさようなら」とお別れしたのも宏さん らしい最後
だと思います。
生前楽しいひと時を持たせて頂き、宏さんに代わってお礼申上げます。
皆様の末永いご健康ご多幸をお祈りしております。
伊東静子
4回生のホームページについての報告
4回生のホームページは、
(1)HTML形式のもの、 http://www.geocities.jp/shotou4/index.htm
(2)ブログ形式のもの http://shotou4.blogspot.jp/
とから構成されています。
HTML形式のものは管理者(木下)が登録・管理をしていますが、
ブログ形式のものは皆さんが自由に投稿できる形式になっています。
この度、HTML形式のホームページのサイトとして利用していた「Yahoo!ジオシティーズ」がリニューアルされることになり、今まで使っていたカウンター機能の提供が終了し使えなくなりました。そこで、別のカウンターを設定し今まで通り使えるよう修正しました。
HTML形式のホームページは2009年6月時点で凍結状態になっていますが、過去の記録を読み返すことができるようこのまま公開と管理を続けていく予定です。
今後、ホームページへの投稿はブログ形式の方にお願いします。普通のメール送信と全く変わらない方法で誰でも投稿できます。
メールの送り先は、kinoshita-knuhs.kuma3@blogger.com
もし投稿後、修正が必要になったときは木下に連絡してください。対応します
松濤中学4回生のためのホームページ
管理者 木下恂
(1)HTML形式のもの、 http://www.geocities.jp/shotou4/index.htm
(2)ブログ形式のもの http://shotou4.blogspot.jp/
とから構成されています。
HTML形式のものは管理者(木下)が登録・管理をしていますが、
ブログ形式のものは皆さんが自由に投稿できる形式になっています。
この度、HTML形式のホームページのサイトとして利用していた「Yahoo!ジオシティーズ」がリニューアルされることになり、今まで使っていたカウンター機能の提供が終了し使えなくなりました。そこで、別のカウンターを設定し今まで通り使えるよう修正しました。
HTML形式のホームページは2009年6月時点で凍結状態になっていますが、過去の記録を読み返すことができるようこのまま公開と管理を続けていく予定です。
今後、ホームページへの投稿はブログ形式の方にお願いします。普通のメール送信と全く変わらない方法で誰でも投稿できます。
メールの送り先は、kinoshita-knuhs.kuma3@blogger.com
もし投稿後、修正が必要になったときは木下に連絡してください。対応します
松濤中学4回生のためのホームページ
管理者 木下恂
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